Linear ベストエッセイセレクション
時代の風景
Turn

馬鹿話が紡いだ物語
 彼と再会したのは西暦2000年のミレニアム(千年期)を迎えた遡る20数年前のことで、それまで音信が途絶えていたのはそれぞれが起業したての会社を抱え、その経営に奔走していたからに他ならない。 ミレニアムの昂揚があったせいか、再会を果たしてからは、あれやこれやと理由をつけて会食を重ね世間話に花を咲かせてきたのである。 世間話といえば聞こえはいいが、それは多分に浮世離れした 「馬鹿話」 に近いものであった。 だがその幾つかは、時に応じ、事に応じ、本知的冒険エッセイの中で 「一服の清涼剤」 として引用されてきている。 今、重ねられてきたその馬鹿話の流れを振り返ると、そこにはそこはかとなく 「時代の風景」 が映しだされているかのような気にさせられる。 ここでそれらを連結して 「一編の物語」 にしてみるのも一興であろうと、彼に賛同を求めると間髪をいれずの 「了」 が返ってきた。

第678回 「社長急募」 2011.12.08
 先日、会社を経営している友人と話していて以下のようなくだりとなった。 最近は関係する会社の従業員や知り合いから 「荷物運びでもいいから勤めさせてくれないか?」 などと頼まれることが多く、その時、彼は 「荷物運びなどというポストは1年待ちの状態だ」 と答えるのだという。 彼に言わせると 「荷物運び」 こそ精神的には悩むことなく身体的には運動となる恵まれた職種は他にないのだと力説する。 それにかわってすぐにでも必要なポストがあるがどうだと言って 「それは社長だ」 と告げると 「それは畏れ多い」 とほうほうの体で即座に辞退するとのことである。 そして彼は最後にこう言ったのである。 「こうなると “ 社長急募!高給優遇 ” とでもうたって新聞広告でもするしかないか」 と。
第722回 「悠々自適とは」 2013.03.08
 先日、友人との歓談の中で 「悠々自適」 の話になった。 60歳を過ぎて定年を迎える年齢になるとこの理想の老後生活をあらわすライフスタイルイメージが登場する。 信州にはこの理想のライフスタイルを実現しようと都会から多くの熟年者がやってくる。 高原に居住するもの、山麓に居住するものさまざまである。 その誰もが 「悠々自適」 を自認し、幸せそうなのであるが、その風情はどこか装っているようで、なぜか寂しそうなのである。 撮影で訪れた静かな湖畔の散歩道ですれ違った子犬を伴った夫人のかくなる 「寂しげな風情」 を話すと、寂しげなではなく 「憂いにみちた表情で」 と表現の訂正を求められた。 彼はまだ 「悠々自適」 に若干の夢を描いているのである。 寂しいは情緒であり、憂いは深い精神性であるというわけである。 いずれにしても 「悠々自適」 とは、思い描くうちは夢と希望にみちた 「愉しきライフスタイル」 なのであるが、実現すると寂しさと憂いにみちた 「哀しきライフスタイル」 へと変じるもののようである。
第795回 「機械屋か電気屋か」 2014.03.19
 先日、友人と喫茶店でとりとめなく話をしていたときのことである。 私が機械屋になった(機械工学を専攻した)のは 「電気はどうも目には見えないし、さわるとしびれるし、得たいがしれない、それにひきかえ機械は叩けばへこむし、持てば重いし、得たいがしっかりしている、何より機械に指を挟んだ痛みには耐えられても、電気にしびれる痛みには耐えられない」 と言うと。 電気屋である(電気工学を専攻した)彼は 「俺は電気にしびれる痛みには耐えられても、機械に指を挟まれる痛みには耐えられない」 と答えた。 彼が今も電気屋でいるのはそのせいだというわけである。 その言葉に私は目から鱗が落ちたように納得した。 電気屋から見た機械屋とはそのような者なのかと頓悟したのである。 機械屋は子供の頃に 「時計を壊す」 ことに熱中した者であり、電気屋は 「ラジオを作る」 ことに熱中した者なのである。 機械屋になりたいか、それとも電気屋になりたいかは、その後の人生を計るにおいて、かく 「本質的」 な問題なのである。 私としては世のすべてを機械屋の視点から見てきたのであり、その視点を逆転するのに、かくも長い歳月を要したということなのである。 もっとも、いい年のふたりが 「しびれる痛みには耐えられない」、いやいや 「挟まれる痛みには耐えられない」 などと、口角泡を飛ばしている姿を、店内にいた青年たちは 「どのように思って」 眺めていたかは知るよしもないのだが、うら若いウェイトレスはあきれ顔で通りすぎていった。
第840回 「何かいぶかしかった」 2014.12.11
 久しぶりに会食をともにした友人が言った。 昔は世間に 「さからって」 生きていた。 君は骨があると言われた。 時代はめぐり、いつのまにか世間に 「さからえなく」 なった。 君もまるくなったと言われた。 そして今では、もう世間に 「さからわない」 ことにしたと結んだ。 「さからう」 → 「さからえない」 → 「さからわない」 という言葉の五段活用のごとき変態はいったい何を述べているのであろうか。 彼の人格形成の過程を述べているのであろうか? それとも日本経済社会の変遷の過程を述べているのであろうか? それとも日本政治思想の変質の過程を述べているのであろうか? 何かいぶかしかった。
※)何かいぶかしかった : 立原道造の詩 「はじめてのものに」 に挿入された以下の一節から採った。
  ──人の心を知ることは ・・・ 人の心とは ・・・
  私は そのひとが蛾を追う手つきを あれは蛾を
  把(とら)えようとするのだろうか 何かいぶかしかった
第863回 「寄らば自分」 2015.04.24
 先日、友人といつものように会食しながら時事放談風に世相の混沌を嘆いていた。 やがて話は 「こうなると頼るものがないな」 という帰結に至り、彼が発した 「寄らば自分」 という標語のような箴言で落ちとなった。 寄らば大樹を変じたその表現の的確さを讃えると、日頃このエッセイ欄を読んでいる彼は 「それ書いてよ」 と言う。 「書かなくてもその言葉ですべてが表現されている」 と私。 「題名だけでもいいから書いてよ」 と彼。 そのときふと思い出した私は、かってヤクルトスワローズで活躍した 「のび太くん」 こと古田捕手が後年プレイングマネジャーとして監督と選手を兼任していたとき選手交代で審判に告げた 「ピンチヒッター俺」 という逸話を掲げた。 とたん彼の表情がしたりとにんまりしたのは言うまでもない。
第904回 「言葉と数式〜数式は言葉を超えたのか?」 2015.11.02
 宇宙自然界がひとつの数式にまとめられたとしてもそれを言葉で説明できなければ人間が生活するうえでの有効な意味は発生しない。 アインシュタインが相対性理論を数式化したときに発せられた言葉とは 「空間は歪む」 であり、「時間は伸縮する」 であったが、当時の人々にはその言葉の意味するものを 「にわかに理解する」 ことはできなかった。 その後に行われたさまざまな観測と実験からその言葉通りの現象が明らかになることによって、数式の妥当性は証明されたが、その意味するところは依然として理解不能であった。 現在にいたるも 「空間が歪むとはどういうことなのか?」、「時間が伸縮するとはどういうことなのか?」 を自らの知覚をもってしかと理解する者がいるかは 「はなはだ」 疑わしい。 「分かったような気がする」 程度の理解にとどまっているのが実情ではあるまいか? 相対性理論に続いた量子論となると 「かくなる傾向」 はさらに著しくなる。 現象は数式化されたが、その数式の意味するところは言葉では理解できない。 だが観測され実験された現象が数式どうりに対応するから 「それでよし」 として実用に供されている。 さらに宇宙自然界の運行をひとつの数式にまとめた 「統一理論」 とされる 「超ひも理論」 にいたっては、数式としての数学的整合性はあるとされるものの、10次元の宇宙現象など観測も実験もできないし、何を意味しているのか 「まったく不明」 である。 数学的数式とは現象の意味を理解するための道具であったはずなのだが、いつのまにか本末が転倒し、数式が現象を超越してしまったかのような状況を呈している。 今や言葉で理解するという人間としての根源的知覚はさほどに重要視されない時代に向かっているのであろうか? 本が売れなくなってきたこと、道理が通じなくなってきたこと等の社会世相の変化は、あるいはこのあたりに帰因しているのかもしれない。 先日、電子工学が専門の友人と話していて 「あるコンピュータシステムが突然故障、懸命に復旧作業をしている間に原因がわからないままに直ってしまった。 その会社は原因が不明なままにそのシステムをその後も使い続けるというのだが、いかがなものか?」 と質問すると、彼は 「そういうものです」 とこともなげに応えた。 現代電子工学の基盤は量子論に立脚しているから当然といえば当然の帰結ではあるのだが、機械屋の私としては釈然としない成り行きである。
第1002回 「満天の星〜時空の旅人」 2017.01.31
 本エッセイを 「1000回までは書いてくれ」 と言っていた友人はその1000回を祝して宴を催してくれた。 宴と言っても仕事が終わったあといつものレストランで食事をし行きつけの喫茶店でコーヒーを飲むだけのささやかなものであったが私にとっては極上の三つ星であった。 だが本当の宴はその後に訪れた。 帰り道、私が 「安曇野天文台」 と呼んでいる彼が長年の工夫をこらして完成させた天体観測ドームに寄って 「満天の星」 を観せてくれたのである。 若き日、彼は貨物船の通信士として7つの海を渡って地球を周回していた。 カラオケで 「冬のリビエラ」 を唄うのはそのせいかもしれない。 NHK紅白歌合戦に向けて南太平洋の洋上から 「紅組がんばれ、白組がんばれ」 を打電、司会者がその電文を読み上げたことは語りぐさである。 船を下りてからというもの、ある韓国出張から戻る機内ではフィギュアスケートの浅田真央選手と隣り合わせとなり 「浅田さんですよね、サインしてくれますか」 とパスポートを差し出すと 「こんなところにサインしていいんですか」 と言いながらも笑ってサインをしてくれたこと、色あせた自宅壁面の塗装を思い立つや、ネットでさがした工事用の足場を引き取りに軽トラックを駆って深夜の高速道を大阪まで往復、塗装作業には1年以上を費やし下塗り上塗りを繰り返して完璧に仕上げたこと等々。 語り出すと逸話にことかかない。 だが彼はエレクトロニクス技術を扱うれっきとした会社の社長なのである。 そんな彼がいつどこで天体観測ドームを作ってしまうほどに星空の彼方に憧れを抱いたのかは、多くを語らない彼からは知るよしもない。 あるいはそれは洋上の貨物船の甲板から見あげた満天の星空であったのか、それとも単調な塗装作業を繰り返した蜩が鳴く夏日の足場でのことであったのか? とまれ観測ドームは2層構造を成し、上層には望遠鏡とその制御装置が収まり、下層には観測指示やそのデータ処理を行うコンピュータ等が収まっている。 上層に登ってドームを開くとそこには寒気漂う冬空に瞬く満天の星空が広がっていた。 観測ドームの周囲は漆黒の闇と静寂で包まれている。 上空を渡る雲が若干あるものの観測にはまあまあの状況だという。 星空には素人の私のために観測地点をアンドロメダ銀河とオリオン大星雲に向けてくれた。 やがて上層ドーム内に置かれたモニター画面に望遠鏡に取り付けられた高精細CCDカメラがとらえたアンドロメダ銀河とオリオン大星雲が現れた。 写真では見てはいたが直に見るのは初めてであった。 何千万光年と離れたその宇宙を眺めているうちにどこからともなく 「生物としての自分とはいったい何ものなのか」 という不可思議な感懐が湧いてきた。 あるいは彼もまたひとり真夜中の観測ドームで星空の彼方を眺めながら 「この宇宙に人類が存在する奇蹟の意味」 を探し求めているのではあるまいかとふと思った。 自らを語ることなき 「時空の旅人」 がここにいる。
第1634回 「四畳半の宇宙」 2022.06.08
 彼は、かって貨物船の通信士として 「七つの海」 を渡って地球を周回していた。 その彼といつものように会話を楽しんでいたとき、私がこれからは 「半径3Km の社会」 に回帰するであろうと予言すると、彼もそれを了とした。 先日その会話を回想しながら、これからは 「四畳半の宇宙」 となるであろうと再び予言すると、彼はそれもまた了とした。 仮想空間 「メタバース」 が喧伝される現代社会であってみれば、それは驚くことではない。 さらに、その四畳半の畳をめくれば、そこには 「新たな宇宙が広がっている 」 と言うと、「当然でしょう」 と了とした。 我々の若かりし日。 世の主張は 「青年は荒野をめざせ」 であった。 その荒野をめざした彼の遠大な航跡の先にあったものが 「四畳半の宇宙」 であったとは、夢のあるような、ないような話ではあるのだが、それもまた彼は了とするであろう。
第1674回 「吟遊詩人」 2022.10.03
 たそがれの街角。 街には安らぎがおとずれ誰もがふと我にかえる。 舗道に落ちた長い人影が明日に向かって立ち尽くしている ・・ ここまで書いて不意に 第821回 「名台詞は文化遺産」 の中で掲載した映画 「フーテンの寅」 の名台詞が思い出された。 例えば、日暮れ時、農家のあぜ道を一人で歩いていると考えてごらん。 庭先にりんどうの花がこぼれるばかりに咲き乱れている農家の茶の間。 灯りが明々とついて、父親と母親がいて、子供達がいて賑やかに夕飯を食べている。 これが ・・ これが本当の人間の生活というものじゃないかね、君。 のちにこのエッセイを読んだ友人がとある法事で自らの体験と効果的な創作を交えてこの名台詞の風景を語ったところ 「いやーいい話を聴いた。 次も頼む」 といたく感謝されたというのだ。 嘆息まじりに話してくれたのだが、私にはそのときの彼の姿が目に浮かぶようであった。
※)吟遊詩人 : 民衆的な歌を歌いながら諸国を遍歴した詩人
第1695回 「大隠は朝市に隠る〜陸沈の人」 2022.12.08
 先日、コロナ禍で会うこともままならなかった友人から久しぶりに電話があった。 あれこれ近況を話しているうちに、彼の身に起きた出来事に話が至った。 曰く、「最近は65歳を過ぎるとキャッシュカードさえ自由につくれないし、銀行の窓口に行っても少額しかおろせない」 と言うのだ。 彼が言わんとするところは 「老齢化した自分には、もはや一般人としての信用さえ付与されない」 ということである。 「だがかっては齢をとったら意地悪ばあさんならぬ “意地悪じいさん” になると息巻いていたじゃないか」 と私が言うと、「なに言ってるんだ、意地悪しようにも近づけば、我先に逃げていってしまって、相手にもされない」 と嘆いた。 つまるところ彼は、団塊の世代が迎える 「高齢化社会」 に対する 「やるかたない憤懣」 を述べているのである。
 以下の記載は、そんな高齢化社会で孤軍奮闘する彼に向けて書いた、私からのささやかな 「エール」 である。 還暦と言えば、昔はもう隠居である。 評論家、小林秀雄が、あるとき英国に長く生活していた人に隠居に相当する言葉が西洋にもあるかをたずねた。 彼はそれは 「country gentleman」 のことだと答えた。 それを聞いた小林は、日本では隠居は隣にいるか横町にいるに決まっている。 田舎になどに逃げ出す隠居にろくな者はいないと笑ったという。 孔子は73歳で死んだ。 彼は15歳で学に志してから幾つかの年齢の段階を踏み70歳で学が成就した。 彼はそれを単に学問的知識を殖やすのに時間がかかると言ったのではない。 年齢は 「真の学問」 にとっては、その 「本質的な条件」 を成すと言ったのである。 世の中は暮らしてみなければ納得できない事柄に満ちている。 肝腎なことは誰もが世の中に生きてみてはじめて納得するのである。 しかして、孔子の学問には、科学がすっぽりと抜け落ちている。 彼にとっては、太陽が東から上り、水が低きに流れることなど、学問を待つまでもなく 「解り切った話」 であった。 孔子は 「生きる」 という全的な難問を勝手にひねり出したのではない、ばったり 「出会った」 のである。 孔子は隠士(隠居)を 「陸沈」 という言葉を使って説いた。 世間に捨てられるのも、世間を捨てるのも易しいことだ。 また、世間に迎合するのも水に自然と沈むようなもので、もっと易しいことだ。 最も困難で積極的な生き方は、世間の直中に、つまり水無きところに 「沈むこと」 である。 しかして、かくなる現実主義は年齢との極めて高度な対話によって、なされると孔子は考えたのである。 是即ち 「大隠朝市(大隠は朝市に隠る)」 である。 大隠は朝市に隠るとは、真に悟りを得た隠士は、山中などにでなく、人の集まる俗世間にて、一般の人と同じように暮らしているものだ。 本当に高尚な人物は、人付き合いを避けたりせず、世間でふつうの人々と一緒に暮らしているものだ等々の意。 莫逆の友である彼には市井の真っ直中に生きて、自らの年齢と深く対話する 「陸沈の人」 になって欲しいと願うのだが、彼からすれば 「余計なお節介」 と笑止するに違いない。 だが、お節介もまた、かっての隠居には備わっていた欠くことなき 「美徳」 であったはずなのである。
第1836回 「死後の世界の解明〜魂の復元」 2023.12.05
 第1833回 「生き続ける魂のありか〜その存在証明とは」 では、「体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じる既視感(デジャブ)と呼ばれる現象」 から物質的自我が消滅しても意識的自我である 「魂」 は生き続ける可能性について論考した。 そして、第1835回 「他我問題の解消〜意識と物質の狭間」 では、「心の中で思い描いた風景や物体などのメンタルイメージを機能的磁気共鳴画像装置で取得した脳の信号から復元する新たな技術」 について述べた。 この技術を使用すれば、宇宙が 「意識的現象」 なのか、それとも 「物質的現象」 なのかを解明することができるかもしれないのだ。 そうであれば、「死後の世界」 の解明もまた可能なのかもしれない。 しかり。 時空間に生き続ける 「魂の意識情報」 を抽出して、現実世界に復元させることができても 「不思議ではない」 のである。
(※)以下は蛇足ながら
 かくなることをいつもの友人と論じていたとき、話はついに 「あの世の所在」 にまで及んでしまった。 私があの世(天国、あるいは冥界 等々)は、天上にあるのではなく 「君の横」 にあるのかもしれないと言うと、彼は、出来うるならば 「斜め後方」 にして欲しいと要求した。 私が、仏像であれ、観音像であれ、光背の 「後光」 がその方向から照射されているのは、「そのせいかもしれないな」 というと、「そうでしょう」 ということになって、ことは円満に落着したのである。

 ベストエッセイセレクション 「第 3 集 時代の風景」 を連載するにあたって、私は以下のように書いている。 少々長くなるがその全文を引用する。
 ベストエッセイセレクション、第3集の表題を 「時代の風景」 としたのは 「それぞれの時代」 が絵画のように切り取られた 「風景」、言うなれば 「場面」 であったからである。 時空は時間軸に平行な時間が継続する 「連続の世界」 と時間軸に垂直な時間が断裂(時間 0)した 「刹那の世界」 で構成されている。 とかく我々は時間が継続する 「連続世界」 を上位に置きたがるが、「記憶にのこる世界」 とは意外にも時間が断裂した 「刹那世界」 なのである。 「時代」 とは時間が継続する連続世界であり、「場面」 とは時間が断裂した刹那世界である。 つまり、「記憶にのこる永遠性」 とは、時間が断裂した刹那のワンカットである 「場面」 の中に象出しているのである。 連載するにあたって、「○○の風景」 と題した所以は、実にここにある。 かかる風景の中でこそ、人は永遠の生命に昇華し、生き続け、語り継がれていくのである。 また時間が継続する 「連続世界」 は世界が水平的に連なった、言うなれば 「広さ」 の世界であり、他方、時間が断裂した 「刹那世界」 は世界が垂直的に重なった、言うなれば 「深さ」 の世界である。 連続世界である時代から切り取られた刹那世界のワンカットである場面(風景)にはさまざまなものが重層して秘められているのである。 であればその 「珠玉のワンカット」 を時代から抽出することは困難を極めるのではないかということになるが、そんなことはない。 いかなるワンカットを抽出しようが、その場面(風景)の中にはその人の 「すべて」 が含まれているのであって、宇宙の真理のごとき 「素顔」 がそこに象出しているのである。 だがその象出した素顔をいかに 「描写」 するかには多大な困難がともなうのだが。
時代の物語
 上記のベストエッセイセレクションで表題とした 「時代の風景」 では、記憶にのこる永遠性としての刹那世界の風景を 「珠玉のワンカット」 とした。 だが、ここで描こうとした 「馬鹿話が紡いだ物語」 では 「その逆」 のひとつひとつの刹那の風景(馬鹿話)が、時間軸に沿って連なることで 「時代の物語」 が現れる可能性についてである。 馬鹿話が紡いだ物語とは、その 「実証実験」 なのである。 刹那のワンカットである風景が1枚の写真であるとすれば、その写真が時間軸に沿って連ねられることで動画としての 「物語」 に転じることは最初から解っていたことではあるが、自らの体験をもって、試したかったのである。 刹那宇宙に現れた馬鹿話としての時代の風景が、連続宇宙の 「時代の物語」 を紡ぎ得たのかはいまだ定かではない。 だが彼と私がこの世に生きている限り 「その試み」 は続けられていくことであろう。 但し、認知症にならない限りという条件つきではあるのだが。 ともあれ、さまざまなことがあった2023年も今日は大晦日である。 あとはもろびとの明日に幸多かれを願うのみである。

2023.12.31


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