Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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本居宣長に思う〜考えるということ
 「世の物しり」 は、「知ること」 ばかりに傾斜して、少しも 「考えること」 をしない。 学問で貴ぶべきものは先ず 「思う」 とか 「思惟」 とかの働きである。 今では学問の大勢が空漠たる 「物しりの多弁」 に逸してしまっていて、世の生活常識から浮き上がって形骸化、単なる 「物知りたち」 の生業になってしまった。
 「物のあはれ」 を説いた江戸時代の国学者、本居宣長(1730〜1801年)は、人が言葉を使っているのか、それとも言葉が人を使っているのか、を見抜くことが言語研究の基本であって、言葉の表面の意味は二の次であると考えた。 宣長にとって 「物」 とは、考える行為に必須な条件であって、「あはれという物」 を考え詰めた人であった。 考えるとは、単に物に対する知的な働きではなく、物と親身に交わることで、物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる経験をいうのである。 宣長はそのひと筋に生きた人であった。 その宣長からすれば、「世の物しり」 をしきりに嫌ったこともかくしかりと頷けることである。
 第1528回 「表現力の条件〜もっと思いを」 では、現代人が失ってしまった 「思いの働き」 について論じている。 また 第1618回 「理の変換器」 では、現代人特有の 「物しりの多弁」 とはいかなるものかを論じている。 ともに参照願えれば幸甚である。

2022.12.23


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