Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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フォッサマグナの断章(3)〜悠久な時の流れの中で
穴沢のクジラ化石 / 長野県松本市取出
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 いつかは訪れようと思ってはいてもできなかった長野県松本市四賀村穴沢地区にある 「フォッサマグナ形成」 を物語る痕跡であるクジラ化石の現地保存展示を意を決して訪れることにした。
 フォッサマグナとは、日本の主要な地溝帯の一つで、地質学においては東北日本と西南日本の境目とされる地帯であり、中央地溝帯・大地溝帯とも呼ばれる。 語源はラテン語の Fossa Magna で、「大きな溝」 を意味する。 本州中央部、中部地方から関東地方にかけての地域を縦断し、西縁は糸魚川静岡構造線、東縁は新発田小出構造線及び柏崎千葉構造線とされる。 フォッサマグナは、その西縁と東縁で囲まれた 「面」 であり、5億5,000万年前〜6,500万年前の古い地層でできた本州の中央をU字型の溝が南北に走り、その溝に2,500万年前以降の堆積物や火山噴出物でできた新しい地層が溜まっている地域である。 この大きな地質構造の違いは通常の断層の運動などでは到底起こり得ないことで、大規模な地殻変動が関係していることを示しているという。 ちなみに松本市から北上した山地に広がる四賀村に建つ四賀村化石館には全長約5.5m、世界最古のマッコウクジラの化石が陳列されている。 昔日、化石館を訪れた私はその化石を前にして、この地が海底にあった太古の風景を思い描いて嘆息したことを覚えている。 村の標高は 900m〜600m に位置する。
 穴沢のクジラ化石を訪れるなら混雑を避けた5月連休前の平日であればと向かったのであるが、それは杞憂であって、あたりに人影は途絶えていた。 それどころか、道行く人に場所をたずねてもその存在さえも知らないという。 ようようにして畑仕事をしていた村人からその消息を聞き出してやっとたどり着くことができた。 以下の記載はそのクジラ化石の概要である。
 四賀村一帯には泥や粘土が堆積して出来た泥岩が広く分布し、その地層は別所層(1500万年前)と呼ばれている。 別所層は別所温泉付近を模式地として付けられた名前であるが泥岩が多く、一部に薄い砂岩や石灰岩をはさんでいる。 「穴沢のクジラ化石」 は、昭和11年12月、穴沢川の砂防工事中に発見されたクジラの化石であって、脊椎骨12個、左側の肋骨2個、右側の肋骨6個 (他に棒状の骨1個、頭部は欠損)である。 歯クジラの仲間の化石と推定されている。 クジラの化石は新第三期時代の堆積岩の中から1個あるいは2個の脊椎骨や肋骨が出てくることはあるが12個もの脊椎骨が並んでいる例はない。 昭和13年に長野県の天然記念物として指定され発見地に産状のまま保存された。
 発掘現場のクジラ化石を前にひとり静寂の中で立ち尽くしているうちに記憶は遙か1500万年前の時空に回帰していった。 やがて化石化していたクジラはありし日の姿として甦り海中を悠々と泳ぎだす。 当時の日本列島は後に 「フォッサマグナ(大地溝帯)」 と呼ばれる海峡のような海溝によって東北日本と西南日本に分断されていた。 その海溝を使って彼らは日本海と太平洋を自由に往来していたにちがいない。 あたりの地層から見つかるさまざまな種のクジラ化石がそのことを如実に物語っている。 その後に起きた大地殻変動によって海溝は地溝へと隆起し、現在の列島が形成されることになるが、その過程で海底に堆積した砂岩層の中に紛れ込んだ彼らは、その存在の痕跡を化石となることで今に遺し得たのである。 1500万年余の遥かな時を超えて遭遇した 「生命の奇蹟」 には感謝するしかない。
 以下は蛇足ながら付加した私の推測である。
 発掘現場の穴沢が在る四賀村の標高は 900m〜600m である。 そこからフォッサマグナを形成する土台となった海溝の深さを推測すれば、その海溝を通って巨大魚のクジラが日本海と太平洋を自由に往来していたことを考え合わせると、水深は 1000m ほどであったであろうか? また四賀村一帯からさまざまな種類のクジラ化石が発見されていることからすれば、海溝はクジラの成育に好適な海域であったことが推測される。 水深が 1000m ほどであったとすれば、その海溝の南側に位置する日本海溝の水深 7000m 以上や、その海溝の北側に位置する日本海の水深 3700m 以上に比べて、太陽光の恵みを受けるに良好な環境であったであろう。 海溝には彼らが食料としていたプランクトンが豊富に繁殖していたであろうし、海溝を渡る潮流がその環境を充分に保全していたはずである。 その後に起きた大地殻変動による隆起で海溝は地溝へと変化してフォッサマグナ(大地溝帯)となるが、クジラ化石を含んだ地層の現在の標高 900m〜600m から推測すれば、隆起の高さは 1600m ほどであったであろうか? フォッサマグナの西端を形成する北アルプス連峰の現在の高さ 2800m〜3000m からすれば、隆起前はその 1200m〜1400m ほどが海上から顔を出していたであろう。
 これらの推測は私の脳裏に想起された仮想であって実像ではないのかもしれない。 だが私の眼前に象出したフォッサマグナの断章としての風景であることだけは確かである。
「フォッサマグナの断章(1)」(第0839回
「フォッサマグナの断章(2)」(第0934回
「フォッサマグナの断章(4)」(第1622回

2022.05.08


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