Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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Pairpole Meister (陰陽師)への道
 時間と空間を操るとされる陰陽師はいったい何を操っているのか? 思考展開の帰結はやがて 「想念」 に帰着する。 想念とは想像してそれを念じることである。 陰陽師の想念は互いに対極に位置する正念と邪念の相対性と相補性によって構成される。 現代風に言えばポジティブ(陽)な想念とネガティブ(陰)な想念である。 陰陽師はこの2つの陰陽の想念を操るがゆえに 「陰陽師」 と呼ばれるのである。
 私は陰陽師のことを現代風に 「Pairpole Meister (ペアポールマイスタ)」 と呼んでいる。 Pairpole (ペアポール)とはこの対極に位置する陽極(プラスポール)と陰極(マイナスポール)の2極(ペアポール)を指している。 ゆえに Pairpole Meister (陰陽師)の役割とはかかる Pairpole をいかに操るかという話になる。 したがって、日々の修練はその技量の向上に費やされることになる。 修練はいたってあたりまえのものであるが、それゆえにその習得は難しい。 言葉(文字)に頼った修練ではものの役には立たない。 余念を交えずひたすらに専念する 「不立文字」 こそが Pairpole Meister へのただひとつの道である。
※)不立文字(ふりゅうもんじ)
 禅宗の根本的概念。 禅における悟りは文字や言語で伝達されるものでなく心から心への伝達(以心伝心)と生命をかけた本質への直視(見性)こそ肝要とする。 つまり、経論という文字をはなれひたすら座禅により釈迦の悟りに直入する不立文字こそが求められる。
 Pairpole Meister が陰陽の Pairpole で構成されている想念を操るためにはかくなる 「Pairpole の胎動」 をくまなく観察して織りなす物語を読まなくてはならない。 思考展開の経過を始点に戻せば Pairpole が織りなす物語とは時間と空間で構成された 「時空の物語」 ということになる。 であれば、Pairpole Meister とは 「時空の物語」 を操る者ということになる。 時空の物語とは言うなれば時空に描かれた物語である。 時空の物語を操る Pairpole Meister は描かれた物語を受動的に漫然と眺めているだけの者であってはならず、描かれた物語を能動的に編集する者でなければならない。 では時空に描かれた物語をいかに編集するのか?
 想念が想像を基にして構成されることであってみれば、想像と現実を融合させる 「即身の術」 の援用が考えられる。 日本密教を創始した空海が目指した即身への道は 「仏になるための道」 ではなく 「仏として生きる道」 であった。 仏になるための道とは顕教を追求した最澄がたどった道であるが、この道は受動的な道であって、自らが教義を編集するなど畏れ多い所行であって、ひたすら修行に打ち込むことを第一義とした。 だが空海がたどった 「仏として生きる道」 は、自らが教義を編集して畏れない能動的な道であった。 両者の違いは左脳と右脳の違いであり、認識と直観の違いであり、静と動の違いである。 空海が拓いた 「仏として生きる道」 は Pairpole Meister が目指す 「不立文字の境地」 と通底で一致する。
 畢竟如何。 「即身への道」 はそのままにして 「Pairpole Meister への道」 でもあったのである。

2021.07.25


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