Linear ベストエッセイセレクション
実験的経路積分紀行
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どこにもいてどこにもいない
 量子の世界では物質は波動性と粒子性という2重の性質をもっている。 但し、波動性を観測したとたんに粒子性は消え、粒子性を観測したとたんに波動性は消えてしまう。 同時に観測することはできない。 この状況を私的現実として説明すれば 「私という物質は観測されるまでは宇宙全域に波動のごとく広がっていて、どこにもいてどこにもいない状態である、だがひとたび宇宙の局所で観測されるやいなや、波動性は消滅し(あらゆる可能性は消滅し)、粒子性としての私はその局所にしか存在することができない」 と表現される。
 量子の2重性を表現するもうひとつの方法は 「量子はあらゆる可能性を事前に試みる」 というものである。 たとえば台風の進路は進行方向に開いた扇形の確率で示されるが、我々が観測する進路はその中のたったひとつの進路のみである。 だが台風自身はその扇形の進路すべてをすでに事前に試みているのである。 この場合、扇形で示された確率的な進路が波動性であり、観測されたひとつの進路が粒子性にあたる。
 私は長きに渡って映像技術開発の素材を求めて故郷である信州各地を巡り歩いてきた。 つまり、私は波動のごとく信州全域に広がっていて、どこにもいてどこにもいない状態であった。 連載している 「信州つれづれ紀行」 には粒子としての私の局所における位置プロットデータが表示されている。 この状況を物理学的な解釈をもって解説すると、私はこの信州紀行を始める時点で、すでに 「あらゆる可能なルートを試し終わっていた」 のであって、私の 「粒子としての位置プロットデータの分布」 とは、始める時点ですでに試みられていた波動性の確率分布であったというものである。 量子は一瞬の刹那に時空を超えて 「あらゆる可能性」 を把握し、体験してしまうのである。 これから導かれる帰結は、人の一生とは、この世に生まれ出た時点において、確率的に可能なあらゆる人生がすでに試みられていて、「私の人生とは1個の粒子として生涯をかけてその波動性確率分布をトレースするにすぎない」 という 「運命論」 に近づいていく。
 以上の記述は 第1861回 「大いなる錯覚からの覚醒〜経路積分」 から思考されたものである。 そうであれば 「信州つれづれ紀行」 とは自らの体験をもって試行された 「実験的経路積分紀行」 と改題されてしかるべきであろう。
風景の物語
 実験的経路積分紀行としての 「信州つれづれ紀行」 の取材で、私は信州の津々浦々を訪ね歩いてきた。 自然が偉大で素晴らしいのは 「変わらないこと」 である。 かって訪れた高原を、湖を、森を、川を、数年経て再び訪れても、何も変わらずにそこにある。 「変わる」 のは訪れる私のほうで、その時々の状況(心情)で、それらの自然がさまざまに変わって見える。 その証拠に、撮影した日付を記載しなければ、撮影した私をのぞいて、切り取られた 「自然の時系列」 を誰も判定できないであろう。 それはいかなることなのか?
 私の解答は 「自然そのものには時間は存在せず、人間の内にのみ時間が存在している」 というものである。
 以下簡潔に説明すると、「過去は記憶」 で構成され、「未来は想像」 で構成される。 どちらもはなはだ曖昧模糊とした人間の 「主観的意識作用」 である。 だが 「現在は運動」 という確固たる 「客観的物理作用」 で構成されている。 我々は線形時間の流れとして 「過去・現在・未来」 を配列し、時間は過去から未来に向かって流れていると考えている(思っている)が、現在はその構成において過去や未来とはまったく異なっている。 それを同列に配置することは、人間の意識作用のなせる業であって、それ以外には何も根拠がない。
 つまり、時間は人間の主観的な意識場において流れていることが保証されても、現在のような客観的な物質場において流れているかは保証されない。 私は過去や未来は線形に配列されるものではなく 「現在に含まれている」 のではないかと考えている。 その考えに従えば、信州つれづれ紀行で描かれた津々浦々の風景は、私がその現在場を訪れたことで、自然風景の中に含まれていた私の過去や未来の意識場が現在に象出することで発生した内なる時間の流れが紡いだ 「自らの風景」 の物語なのではあるまいか? 他方、私をとりまく自然には 「時間は存在せず(流れず)」、運動する風景として、ただそこに存在しているだけなのではあるまいか?
 そうであれば、「実験的経路積分紀行」 はまた、「風景の物語」 と改題されてしかるべきであろう。 そして今日もまた、私は悠久なる自然を前にして自らの風景の物語を紡ぎ続けているのである。
立原道造の風景
 夭折の詩人、立原道造は友人に宛てた書簡の中で以下のように語っている。
 いつか僕は忘れるだろう。 「思ひ出」 という痛々しいものよりも僕は 「忘却」 といふやさしい慰めを手にとるだろう。 僕にこの道があの道だったこと、この空があの空だったことほど今いやなことはない。 そしてけふ足の触れる土地はみな僕にそれを強ゐた。 忘れる日をばかり待ってゐる。
 特筆すべきは 「この道があの道だったこと、この空があの空だったこと」 という表現方法である。 道造は 「思い出とは、この道があの道であること、この空があの空であること」 と簡潔にして明瞭に表している。 こまごましい説明を軽々と飛び越えて核心を貫いているのである。
 あの道にあって、この道にないものとは 「あの時間」 である。 あの道にあったものとは過去となった 「あの時間」 であり、それは現在のこの道にはない。 現在にあるものは現在にある 「この時間」 である。 道造のこころを苦しくさせているものとは 「二度と再びあの時間にもどれない」 という時間がもつ絶対的非可逆性に対する嘆きである。 後悔は先には立たないのであり、覆水は決して盆にはもどらないのである。
 ではあの道にあった物理的条件(天候や環境条件等)をこの道の物理的条件として完璧に再現した場合はどうであろう。 違いはあの時とこの時という時間のみである。 だがそれは意識としての時間であって、意識を消滅させれば 「あの道」 は 「この道」 と同じである。 それがゆえに道造は救いの道を 「忘却」 に求めたのである。 つまり、忘却とは意識を消滅させることに他ならない。 だが感受性に優れた道造であってみれば、いくら忘却を求めたところで意識ある身をもってしては、それは不可能なことであったであろう。
 物理学的な 「時空間」 とは時間と空間という2つの要素によって構成された宇宙である。 しかして、Aという時空間と、Bという時空間の同一性は、この2つの要素の一致をもって保証されるのであるが、「時間の始まりと終わり」 や 「宇宙の果て(空間の果て)」 という時間と空間にまつわる根源的な疑問に対する明確な解答をもっていない我々人間にしてみれば、あの時間とこの時間が同じであること、あの空間とこの空間が同じであることを、どのように保証できるのであろう。 まして 「時は流れず」 と考えている私とすれば、あの道とこの道の違いは、時間の違いではなく、意識の違いと考えることに妥当性を覚える。 つまり、あの道にあったものとは 「あの意識」 であり、この道にあるものとは 「この意識」 なのである。 私はこのような 「意識のめぐり逢い」 を 「時空のめぐり逢い」 と呼んでいる。
 私は 第1864回 「実験的経路積分紀行〜風景の物語」 で、時間は人間の主観的な意識場においては、流れていることが保証されても、現在のような客観的な物質場においては、流れているかは保証されない。 私は過去や未来は線形に配列されるものではなく 「現在に含まれている」 のではないかとし、信州つれづれ紀行で描かれた津々浦々の 「風景の物語」 は私がその地を訪れたことで、自然風景の中に含まれていた私の過去や未来の意識が現在に象出することで発生した内なる時間の流れが紡いだ 「自らの物語」 であって、とりまいていた自然には 「時間は存在せず(流れず)」、運動する風景として、ただそこに存在しているだけであると書いた。 詩人、立原道造もし生きてあれば、これをいかに聴いたであろうか?
 とまれ、道造は苦しくはあったが、かくなる時空のめぐり逢いの中から、不思議に透明で、夢のように甘美な、純粋詩を紡ぎだし、時代を駆け抜けていった。 それはまた立原道造の 「風景の物語」 であったことだけは確かである。

2024.02.09


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