Linear ベストエッセイセレクション
混乱の臨界点
Turn

混沌とした社会
 ロシアによるウクライナ侵攻の戦禍はいつ果てるともなく続いている。 ともなって発生した食料危機、急激な物価高、円安 ・・ 混乱はとどまるところを知らない。 長く続いたコロナ禍のパンデミックは下火にはなったものの終わったわけではない。 今、世界は未曾有の混乱の中にある。 だが、経済学者といい、社会学者といい、歴史学者といい ・・ 先への展望を語るべき者はその影を潜めて世の表面には現れてこない。
 時間が進むにつれて 「事の曖昧量」 と言われるエントロピが増大することは物理学が証明したところである。 時間が急速に進む情報化時代であってみれば、その増大速度も鰻上りに上昇することは不可避であって受け入れざるをえない。 社会がより曖昧に乱雑に無秩序に複雑化して 「混沌とした社会」 が到来することは、すでにして 「予測されていた」 ことである。
 問題の本質は事の混乱が臨界点まで達したときその先に 「何が待っているか」 である。 しかして、その何事かに対して人類が対応可能か否かである。 地球温暖化でさえ、まともに対応できない人類に、はたして 「何ができる」 というのであろう?
進歩しない社会
 曖昧量の増大、言うなればエントロピ増大に対して人類が対応可能な限界としての臨界点をすでに突破しているのか、それともその以前なのかを判断できる者はいない。 それは神のみぞ知るところである。 仮に臨界点を突破しているとすれば、人類の能力をもってしては対応不能である。 いかなる対策を打ち出したとしても混乱を解決することはできないであろう。 それは打ち出されたさまざまな対策が必ずしもその効果を発揮していない昨今の世相と符号する。 エントロピは新たな事態が起きる度に増大する。 蟻の詰まった缶を開けるとその蟻を収容するためにはさらに大きな缶を必要とするというのがその喩えである。
 シュレジンガーの波動方程式によれば、ものごとを観測する度に波動関数が収縮して 「新たな宇宙」 が発生する。 言うなれば、扉を開けて何ごとかを知る(観測する)度に新たな宇宙が発生するのである。 また波動関数の収縮(宇宙の発生)の頻度が時間の速度に同期することで、結果としてその時間に応じてエントロピ増大の速度もまた決定される。 情報化時代は観測の頻度を急増させる時代である。 結果、曖昧量であるエントロピは急増し、宇宙はかく見るような混乱に陥ってしまったのである。 時代の進歩が世界を混乱に陥れてしまうとは何と皮肉なことであろうか。
 かくなる視点で言えば、物事の解決は解決にあらず、さらなる混乱の始まりでもある。 東西冷戦の解消は問題の解決ではなく新たな紛争の始まりであったのだ。 ロシアによるウクライナ侵攻はその帰結を物語っている。
 混乱の解決策がさらなる混乱を増幅させることが真理であったとすれば、叡智をもった人類にとってそれは 「致命的」 である。 もしやれることがあるとすれば観測の頻度を低下させて時間の速度を低下させることぐらいである。 言うなれば 「進歩しない社会」 こそが最良なのである。 近年叫ばれている 「SDGs(持続可能な社会)」 が時間の速度を低下させた 「進歩しない社会」 であったとは、何たる徒労 「大いなる陥穽」 これに過ぎるものはない。
宇宙のこころ
 混乱の臨界点を突破した社会では人類の力をもってしてその混乱を解決することはできない。 しからばその社会は何をもって救われるのか? 超法規的と言うが如く、それは 「超人的」 なものであろう。 西欧では 「神の拳」 と呼ばれる神の力、東洋では 「天の配剤」 と呼ばれる天の力がそれにあたる。 私はそれらを総称して 「宇宙のこころ」 と呼んでいる。 それが如何なるものなのかは人知をもってしては推し量ることはできない。 それは神や天の差配を人知をもって推し量れないことと同じである。 人類にとってできるとすれば、その 「宇宙のこころ」 に添う(帰依する)ことだけである。 救済は人知を超えた 「他力本願」 にあるのであって、人知に基づいた自力本願にはない。 エントロピ増大の臨界点とはまた人類そのものの臨界点でもある。
 唯一、人類に期待するものがあるとすれば 「混沌からの秩序」 を描いた物理学者、イリヤ・プリゴジンが提唱した非平衡熱力学の散逸構造理論(自己組織化)である。 以下は 第822回 「自己組織化〜混沌からの秩序」 からの抜粋である。
 プリゴジンはエントロピが増大し、混沌とカオスが極限まで進行して臨界点に達すると 「自己組織化」 と呼ばれる再結晶化が起きることを発見した。 この理論により、1977年、ノーベル化学賞を受賞している。 それは生物学における 「突然変異」 のような現象である。 例えていえば、溶液にさまざまな薬品を混ぜていくうちに溶液の濁りが突然に消えて無色透明になるような現象(混沌からの秩序)である。 混乱も極まれば秩序が発生するのである。 それは 「雨降って地固まる」 がごとき現象である。
 だが悲しいかな、この自己組織化(エントロピの減少)は宇宙の片隅(部分)においてのみ発生するものであって、他の部分ではエントロピはいぜんとして増加する。 よって宇宙全体でのエントロピの総和は増大してしまい 「混乱の臨界点」 は回避されないのである。 たとえて言えば、日本での混乱が解消されたとしても、世界全体での混乱はいぜんとして解消されないということである。
宇宙の終焉
 混乱が臨界点を超えたあとに到来する社会の様相については 第721回 「社会学的インフレーション理論」 の中で描いている。 要旨を抜粋すると以下のようである。
 
 物理学がいうところの 「インフレーション理論」 は宇宙が誕生直後、光速を超えるスピードで急激な膨張を起こしたとする理論である。 我々が住む宇宙が 「平坦」 で、どこでも 「一様」 であることの理由は、この理論を使って説明される。
 現代社会を観察すると、さまざまな社会現象が急激に膨張しているように見える。 これらの状況は 「社会学的インフレーション理論」 成立の可能性を暗示する。 両者のインフレーションの違いは、物理学的インフレーションが 「物質世界を基盤」 にしているのに対し、社会学的インフレーションは 「意識世界を基盤」 にしていることである。 近年における意識世界の急激な膨張が、情報化技術の急速な発展に起因していることは異論なきところであろう。 したがって、社会学的インフレーション理論での膨張係数(膨張率)は、おそらく情報化技術の根源となっているコンピュータの演算速度やネット回線のデータ転送速度の上昇係数(上昇率)によって計算されることになるにちがいない。 ではこの意識的インフレーションが社会に何をもたらすのであろうか?
 物質的インフレーションとの相関で考えれば、それは 「平坦で、どこでも一様な社会の出現」 ということになるであろう。 わかりやすく言えば 「均等で、中立で、無色で、無個性で、無気質で ・・」、よりわかりやすく言えば 「どこを切っても同じ顔があらわれる金太郎飴のような ・・」、ひと言で言えば 「何の変哲もない変わりばえのしない ・・」 社会である。 このインフレーションが我々人間にとって、はたして幸せなのかどうかは熟慮を要する。
 ちなみに現代物理学が予測する 「宇宙の終焉」 とは、限りなく膨張する中で温度は低下していき、やがてエネルギ密度は均等となり、「熱的死」 と呼ばれる、動くものなく物音ひとつしない 「静かな暗闇の世界」 である。 同様に社会学的インフレーション理論が予測する 「社会の終焉」 が、戯言(たわごと)に戯言を限りなく重ねていくうちに大戯言となって飽和し、やがては何を言っても意味をもたない、「心的死」 と呼ばれる、虚無的で無感動な 「静かな暗闇の世界」 であるなどとは想像したくない。
 
 上記した現代物理学が予測する 「宇宙の終焉」 は、エントロピが増大して人類が対応不能となる混乱の臨界点を超えたあとに展開される風景である。 そのときにはすでにして人類は滅亡しているわけであるから、その風景を描いたとて意義があるとはおもえないが、かくなる終焉を知ることで、今を生きる人類の意義が見つかるのであれば、あながち無駄にはなるまい。

2022.06.18


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