Linear ベストエッセイセレクション
寺山修司の風景
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遠き日の述懐
 少年時代、私はボクサーになりたいと思っていた。 しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと 「食うべきか、勝つべきか」 の二者択一を迫られた時、食うべきだ、と思った。 Hungry Youngmen (腹の減った若者たち) は Angry Youngmen (怒れる若者たち) にはなれないと知ったのである。 そのかわりに詩人になった。 そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。 詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。 私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。 だが、同時に言葉は薬でなければならない。 様々の心の傷手を癒すための薬に。 エーリッヒ・ケストナーの 「人生処方詩集」 ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉である。
天井桟敷
 青森県出身の劇作家、寺山修司が主催した前衛劇団 「演劇実験室 天井桟敷」 は本人死去に伴い解散したが、先日(1998年11月)、「一日だけの天井桟敷」 と銘打って、寺山の故郷である青森市で 「人力飛行機ソロモン 青森篇」 を公演した。 観客は地図を手渡され市街各所で同時多発する50以上の 「劇」 を探し求めて市内をさまよった。 ホウレン草を探し歩く老ポパイ、ひたすらジャンケンを続ける男二人、などの非日常的パフォーマンスが展開された。
 寺山はこのような演劇で何を表現したかったのであろう。 映画監督、黒沢明は出演者の心が物語の筋にしたがって投射する宇宙を映像に記録しようとしたのであるが、寺山の手法はこれとは少し異なる。 演劇は映像とは違い、じかに演技者を目の当たりに見る。 そして 「演劇実験室・天井桟敷」 のように劇場の舞台で演じるのではなく、我々が生活する街中のあちこちで演劇が繰り広げられるという特異性をもっている。 寺山の異才はこの演劇の舞台を日常生活の空間に広げた点にこそある。 この時、演劇の演技者と観客の我々はどのように区分けされるのであろう。 まがり間違えば我々自身が演劇の演技者となり演劇を為している演技者が観客化する転倒現象も起きそうな状況設定である。
 ユングの共時性は時空間の幾何学で表現すれば、時間軸に対し垂直な面(空間)で起きる超因果的な事象の同時発生現象として描かれる。 そしてその唯物的同時発生現象の間には 「意味ある符号」 という唯識的情報が介在している。 ユングのこの説は 「目的論」 と呼ばれ、我々の確固とした日常性を保証する 「因果律」 とは一線を画する。 因果律を時空間の幾何学で表現すれば、時間軸に添って起きる事象の経過状況として描かれる。
 つまり、時空間を時間軸に添って断面するか、あるいは時間軸に垂直に断面するかの違いである。 前者は因果律空間の風景であり、それぞれの事象が逐次原因から結果に至る経過が眺められる。 後者は超因果律的空間の風景であり、さまざまな事象がかってに同時発生している状況が眺められる。 人類の認識は前者の空間風景に慣れ親しみ、またあまりにもこの空間に偏ってしまったために、後者の空間風景に異質性を感じ認識から排除しようとする。 しかし、ユングが説明するように、この空間風景の中に 「宇宙の目的」 が象出しているのである。 我々が、かってに同時発生する事象の間に 「意味ある符号」 をキャッチし理解するならば、この宇宙目的の達成に参加可能になる。 ただこの 「意味ある符号」 とは認識で理解できるようなデジタル信号ではなく、直観で察知するアナログ信号である。 ゆえにデジタル的認識信号である言語では理解することも表現することもできない。 この空間を理解し表現するにはアナログ的直観信号である図形や映像や音響などにたよるしかない。 ゆえにピカソは図形を、黒沢は映画を、バッハは音楽をもってこの空間を表現しようとしたのである。 芸術家とはみなすべて、この我々が慣れ親しまない超因果的空間に現れた宇宙目的を暗示する言語理解が不能な意味ある符号を表現しようとする人々であると定義づけられる。 この構図を理解しないで因果律空間の認識をもってこれらの芸術を眺めようとするから 「芸術は意味不明」 なものとなってしまうのである。
 ここで寺山が実験した 「天井桟敷」 の仕組みをもう一度考えてみよう。 説明するまでもなく、この演劇は時間軸と垂直に切断された空間風景を表現している。 つまり、寺山はこのような演劇手法を使うことによって 「宇宙の目的」 を明らかにしようとしていたのである。 市街各所で同時多発するホウレン草を探し歩く老ポパイ、ひたすらジャンケンを続ける男二人、などの非日常的パフォーマンスの演劇は、その切断された空間に象出した超因果的な、かってな同時発生事象を表現している。 その因果関係が破綻している同時多発する 「かって気ままな演劇」 の間に、宇宙の目的を暗示する 「意味ある符号」 を我々が見いだすことができるのかが寺山の画したこの前衛劇の構図である。 ゆえに寺山にとってはかって気ままに展開される演劇と演劇との因果関係や筋書きはもとから存在しないのである。 いわば直観的インスピレーションで実施された演劇であったであろう。
 この演劇の主役は観客である我々なのであり、この 「演技者と観客との転倒現象」 こそが、寺山が企てた目的なのである。 彼は我々に問いかけている 「皆さん、この意味わかりますか」 と。 この意味こそ宇宙の目的につながる符号に他ならない。 「さよならだけが人生だ」 と言っていた寺山は本当に人生にさよならして天国に旅立ってしまった。 だが、彼はあの例の皮肉な笑いを浮かべ、今も 「彼の地」 から我々に無邪気な謎かけをしてくる。

1999.02.28

さよならだけが人生だ
 寺山修司は著書 「ポケットに名言を」 の中に以下のような詩を遺している。
「幸福が遠すぎたら」

さよならだけが人生ならば
また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに
咲いている野の百合何だろう

さよならだけが人生ならば
めぐりあう日は何だろう
やさしいやさしい夕焼と
ふたりの愛は何だろう

さよならだけが人生ならば
建てたわが家は何だろう
さみしいさみしい平原に
ともす灯りは何だろう

さよならだけが人生ならば
人生なんていりません
 以上の 「幸福が遠すぎたら」 は、以下の井伏鱒二が唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩 「勧酒」 での 「人生足別離」 を 「さよならだけが人生だ」 と詩的に訳したことに感化された寺山が、この言葉は自分にとって最高の名言であるとともに処世訓でもあるとして作られたものである。
「勧酒」

勧君金屈巵 (君に この金色の大きな杯を勧める)
満酌不須辞 (なみなみと注いだこの酒 遠慮はしないでくれ)
花発多風雨 (花が咲くと 雨が降ったり風が吹いたりするものだ)
人生足別離 (人生に別離はつきものだよ さよならだけが人生ならば)

(井伏鱒二の訳)
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
 井伏の 「花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」 の訳に対し、寺山は 「さよならだけが人生ならば また来る春はなんだろう」 というアンチテーゼを掲げた。 そのテーゼは井伏の 「さよならだけが人生だ」 という別離の断言に、寺山自身が深く魅了されたがゆえになされたものである。 そこには幼くして父を亡くし、母とも生き別れ、親戚にあずけられた寺山が背負わざるをえなかった絶望的な哀しみとその中で培われた反骨精神が秘められている。 たしかに人生に別離はつきものだ。 だが別離の 「まえ」 に存在していたものの 「すべての意味」 が失われてしまったわけではない。 そこには ・・ めぐり来た春の、はるかなはるかな地の果てに咲いていた野の百合が ・・ めぐりきた日の、やさしいやさしい夕焼とふたりの愛が ・・ 建てたわが家の、さみしいさみしい平原にともした灯が ・・ あったのである。 それを 「さよならだけが人生だ」 と言われてしまっては、あまりに悲しすぎて、生きていくことができない。 だからこそ寺山は 「さよならだけが人生ならば 人生なんかいりません」 と叫ばずにはいられなかったのであろう。

2020.08.26


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