Linear ベストエッセイセレクション
確信の終焉
Turn

若き日のトラウマ
 時間は過去には進まないという 「時間の非可逆性」 の根拠は熱力学の根本法則である 「エントロピー増大の法則」 にある。 物理学の根源法則である 「エネルギ保存の法則」 に匹敵するこの法則を学んだのは大学での物理学授業でのことであったがいまだにその理解が曖昧で釈然としないままである。 担当教授は京大卒の女先生で黒板いっぱいに数式を書き連ね 「法則の証明」 を熱心に語っていたのであるが 「なぜか」 すんなりと頭に入ってこなかった。 その時はたまたま頭がぼんやりしていたせいかもしれないが、いまだにその 「トラウマ」 から逃れきっていない。 そのときはとりあえず 「時間の経過に従ってエントロピーは増大していくのみで減少はしない」 という法則の意味するところのみを覚えることにとどめて刻をやり過ごしてしまったのである。
 エントロピーとはある種の 「曖昧量」 と呼べるような数値であって、エントロピー増大の法則は時間の経過に従って物事が 「秩序だった状態から無秩序に変化する」 と説明される。 整頓された部屋も時間が経過すれば乱雑な状態へと進んでいくことは日頃体験することである。 その逆の乱雑であった部屋が時間の経過に従って整頓されることがないこともまた日頃体験することである。 この時間に対する秩序から無秩序に変化する流れは方向性をもっていて、その逆の流れはないとするのが 「時間の非可逆性の根拠」 であるとともに、また 「エントロピー増大の法則の根拠」 でもある。 つまり、時間は過去には進まず、エントロピーは減少しないということである。
混乱の増幅
 エントロピー増大にともなう秩序から無秩序に向かう変化を説明するものとして次のような例えもある。 それは蟻がぎっしり詰まった缶をひとたび開けるとその蟻を収容するためにはさらに大きな缶が必要となるというものである。 缶を開けるとは 「事態が変化する」 ことを意味している。 つまり、缶を開ける度に蟻の数は増加して事態は混乱へと向かっていく。 エントロピーの増大である。
 この展開をシュレジンガーの波動理論でとらえると缶を開けるとは波動方程式の波動関数の収縮を意味している。 波動関数の収縮とは新たな宇宙の発生における 「観測問題」 のことである。 事態は新たなものが観測される度に波動関数の収縮が引き起こされ 「新たな宇宙が発生」 するのである。 この過程を一気に還元すれば新たな観測が行われる度(缶が開けられる度)に新たな宇宙が発生するとともにエントロピーは増大していくことになる。
 現代情報社会においては新たな観測にことかかない。 ともなって新たな宇宙は次々と発生してエントロピーは増大、世界は急激に無秩序化に向かっていく。 事態はますます曖昧に複雑になってカオス(混沌)は拡大していく。 エントロピーの増大速度が急速となれば時間の速度もまた比例して急速となってとどまるところを知らない状況へと至るであろう。
確信の終焉
 事態の無秩序化への流れに反するかのように、ロシア出身のベルギーの化学者、イリヤ・プリゴジン(1917年〜2003年)は 「混沌からの秩序」 を著し、散逸構造理論(自己組織化)の研究でノーベル賞を受賞した。 散逸系とは決して均衡状態にはならずさまざまな状態の間をいったりきたりする化学物質の異常な混合状態をいうのだが、プリゴジンはエントロピーが増大して混沌とカオスが極限まで進行して臨界点に達すると 「自己組織化」 と呼ばれる再結晶化が起きることを発見したのである。 曰く、「混沌からの秩序」 である。
 であれば、絶対とされる 「エントロピー増大の法則」 は崩壊したのかということになるが、そうではない。 たまたま 「ある部屋」 の乱雑が整頓されたからといって、「別の部屋」 の乱雑さがそれ以上に乱雑になっていくのであれば、それら全てを合計したエントロピーは増大してしまう。 エントロピー増大の法則とは宇宙全域のエントロピーの総量が増大するものであって、局所におけるエントロピーの胎動を論じているものではないからである。
 それを証するかのようにプリゴジン自身は 「時間はひとつの幻覚に過ぎない」 とするアインシュタインや 「時間の不確定性を信じる」 量子論学派の重鎮の見解に反するかのように 「時間の矢の非可逆性」 を絶対なものとして信じて疑わない。 さらに 「カオス」、「複雑系」、「不確定性」 等々の概念を社会の一般人が受け入れたのは社会そのものが 「流動的」 になってきているからに他ならないと主張した。 そしてプリゴジンはかかる状況を以下のように要約した。
 たとえば信心深いカトリック教徒も、その両親や祖父母たちに比べればたぶん今ではそれほど深く信じていないであろう。 私たちはもう以前のようにマルキシズムや自由主義にこだわってはいないし古典的な科学をもまた信じてはいない。 同じことが 「芸術」、「音楽」、「文学」 等々についても言える。 社会は多様化した人生観や世界観を受け入れることを学んだのだ、そして人類は 「確信の終焉」 を迎えたのだ ・・・。
時は流れず
 ニューヨーク・タイムズ紙は 「確信の終焉」 を論じたプリゴジンの著書 「混沌からの秩序」 をあまりに危険すぎるとして論評を差し控えた。 もし科学が確信をもたらすことができないのであれば、いったい 「何を信じたらよいのか?」 というのである。
 おそらくプリゴジンは確信の終焉した時代における頼りどころは 「確率である」 と言いたかったのではあるまいか? それは 「事態はこうであるかもしれないし、こうでないかもしれない」 という確率で語られる世界である。 若き日に受けた 「エントロピー増大のトラウマ」 がめぐりめぐってかくこのような 「不確定な世界」 に私を導くとは想像だにしないことであった。 だがあの日のぼんやりとした半覚醒の思考は醒めたわけではなく。 いまだに漠として霞の中にある。
 末尾に時間の非可逆性に対する私の見解(時は流れず)を付してこの項の結びとする。
 過去・現在・未来と連結された 「線形時間」 は存在しない。 過去や未来は現在に含まれていて状況に応じて今の今である現在という実空間に 「実在として象出する」 ものである。 エントロピーが増大して世界が無秩序化に向かい事態が混乱し混沌化しようがそれは表層の相転移であって根底にある宇宙の内蔵秩序は依然としてゆらぐことはない。 (詳細はベストエッセイセレクションの 「時は流れず」 を参照願えれば幸いである)

2019.12.08


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