Linear ベストエッセイセレクション
阿久悠の風景
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カラオケ狂奏曲
 「失われた30年」 の基となったバブル経済がもたらした豊饒と熱狂の時代を小説に書こうとしていまだ果たせていない。 第1009回 「カラオケ狂奏曲〜奏でた時の流れとは」 (2017.02.14) はそのプロットをとりとめもなく構想したものである。 以下に抜粋する。
 前ぶれもなくやって来た 「バブル」 と呼ばれた熱狂的現象が戦後懸命に積み上げてきた経済的成功の結果であったのか それとも行きすぎた成功体験の狭間に生まれた精神的弛緩がこの世に咲かせた徒花(あだばな)であったのか 今となれば判然としない 熱波は燎原の火のように瞬く間に日本全土に広がり 津々浦々を焼き尽くすや 断りもなく忽然として去って行った
 1990年代中頃 とある地方都市の歓楽街にもバブルの終焉が近づいていた 昨日までの盛況が忘れられない者たちはその余韻にひたっていようと無駄な抵抗を試みている だが 肩が触れあうほどに賑わっていた通りからは いつしか 足音を忍ばせるように ひとりふたりと消えていき 足並みをそろえるように 彩った店のネオンもまた ひとつふたつと消えていく
 時刻を奏でていたカラオケは協奏曲ではなく 「狂奏曲」 であったのだ その狂奏曲の調べに乗って 老いも若きも ミッドナイトブルーに染まった夜更けの街を 目くるめく駆け抜けていたのだ いったいぜんたい あの者たちは何処へ行ってしまったというのか?
 人影途絶えた通り 明るさを失った街灯がぼんやりと道筋を照らしている どこから現れたか 一匹の野良犬が右に左に餌をあさりながら 彼方の闇に向かって溶けるように消えていった
 そう時代は いつも すべてを忘却の彼方に置き去りにして通り過ぎていく 私には懐かしき時代の面影となってメダルのように輝いているというのに ・・・
失われゆく時代への鎮魂歌
 先日ふと耳にした 「青春のたまり場」 という曲に私が書こうとした 「カラオケ狂奏曲」 に通じる去りゆく時代の残滓を感じた。 作詞は阿久悠、作曲は杉本眞人である。
「青春のたまり場」 作詞 阿久悠 作曲 杉本眞人
純愛がぶつかれば 時に傷つけ
そのあとで悔いながら 泣いて詫びたり
かけがえのない時代(じだい)ともに過ごした
あの店も今月で 閉めるそうです

もう誰も希望など 語らなくなり
カサカサに乾いた 街は汚れて
青春のたまり場も 閑古鳥鳴き
マスターも苦笑い 見せるだけです

もう一度
あの場所で逢いませんか
泣きながら
さよならを言いませんか
La… La…

結ばれた人もおり 別れた人も
夢破れ 酒を飲み 荒(すさ)んだ人も
夜明けまでただひとり 踊った人も
どれもみな青春の ひとコマですね

今はもうそれぞれが 人生おくり
ふり返ることさえも めずらしくなり
色褪せた想い出と わかっていても
この手紙どうしても おとどけします

もう一度
あの時代(とき)と逢いませんか
マスターに
ありがとう言いませんか
La… La…

もう一度
あの場所で逢いませんか
泣きながら
さよならを言いませんか
La… La…
 ・・・ もう誰も希望など語らなくなってしまい カサカサに乾いた街は汚れて 青春のたまり場も閑古鳥が鳴いている あのときのマスターも今では苦笑いを見せるだけです もう一度 あの場所で逢いませんか 泣きながら さよならを言いませんか ・・・
 さすが阿久悠である。 私が書こうとした一冊の小説は、一曲の作詞にして見事に完結している。 さらに加えて、その世界(場面)は、杉本眞人の作曲によって深い情感となって切々と響いてくる。 それはまた、この曲のリリース(2006年9月27日)の1年後(2007年8月1日)にこの世を去った希代の作詞家、阿久悠がさいごにのこした 「失われゆく時代への鎮魂歌」 でもあった。 私がその曲を見いだすに12年の歳月を要したことになる。

2018.08.21


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