Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
Turn

国家と個人
 第2098回 「集団的無責任体制から集団的思考停止体制への変貌」 では 集団的無責任体制の核心が 「無気力」 であり、集団的思考停止体制の核心が 「無関心」 であるとし、日本の未来が無気力から無関心に向かっていると言われても、いったいそれが 「何なんだ」 という話ではあるのだが ・・ と締めくくった。
 だがよくよく考えると 「それが何なんだ」 という程度で済ませる話ではないことに思い至った。 それは 「国家と個人」 に関わる相即不離の根源的関係を述べているからに他ならない。 ことは国家と個人が滅亡してしまうほどに重要な意味を背負っているのである。 集団的無責任体制にして、集団的思考停止体制にして、それは国に対する個人の姿勢を示しているのであって、その示された姿勢が語るところは 「私たちはすべてを国にお任せします」 と言っていることに他ならない。 そうであれば、国家と個人の未来について 「無気力」 と 「無関心」 でいていいはずはない。 それはかって経験してきた数々の国家と個人の 「歴史的事実」 が証明している。 このままでは日本が滅亡してしまいかねないとはそのことである。 国家がひとり歩きすることほど危険なことは他に類例をみない。
 また集団的無責任体制と集団的思考停止体制に関する論考の発端になった 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 という標語が話題となったのは 「今や戦後ではない」 とする標語が流布された頃に奇しくも一致する。 それは喧噪渦巻く高度経済成長の最中であった。 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 と 「今や戦後ではない」 という2つの標語が表と裏でリンクしていることは何とも暗示的である。 時同じくして、巷では 「戦争を知らない子供たち」 が歌われていたことを覚えている。 出だしの歌詞は 「戦争が終って僕等は生まれた、戦争を知らずに僕等は育った」 であった。
 個人の無気力と無関心がもたらした戦争の惨状に涙し、「一億総懺悔」 したあの思いはいったいどこへいってしまったのか? それが 「何なんだ」 では、到底にしてすまされる話ではない。 未来永劫に渡って語り継がなければならない、必要にして不可欠な話なのである。

2026.08.12


copyright © Squarenet