Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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進まない時間の中で〜最高の贅沢とは
 科学文明がスタートした 250年前 にして、その行き着く先を予測したドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)は友人への手紙の中で以下のように書いた。
 富と速さは、世界が称賛し、誰しもが目指しているものです。 鉄道、急行郵便馬車、蒸気船、そして交通のありとあらゆる軽妙な手段は、開花した世界が能力以上の力を出し、不必要なまでに自己を啓発し、そのためかえって凡庸さに陥るために求めているものであります。 そもそも現在は、すぐれた頭脳、理解の早い実用的な人間のための世紀であり、彼らは、たとえみずからは最高度の天分を有さずとも、ある程度の器用さを身につけているだけで衆に抜きんでるものと思っているのです。
 第603回 「速度考」 で私は以下のように書いた。
 速度を上げれば上げるほど視界は狭くなり周りからは音が消えていく。 新幹線の車窓からは、昼寝をしているお父さんの姿や、蝉の声をとらえることはできないが、鈍行列車の車窓からは、それのみか洗濯をしているお母さんの姿や、谷川のせせらぎまで、とらえることができる。 また車で、とある街を通過しても、その街の臭いや、笑い声をとらえることはできないが、ゆっくり歩けば、その街の臭いや、笑い声はおろか、路傍に横たわる犬猫の顔から、漂う空気まで、とらえることができる。 現代人は速度を上げることで、多くの風景、多くの声、多くの空気、多くの〇〇を失ってしまったのである。
 脚本家、倉本聰は 「10年周期の時計」 と題してドラマ 「優しい時間」 に込めたテーマについて以下のように語っている。
 喫茶店「森の時計」には、「森の時計はゆっくり時を刻む」 という壁掛けが架かっていますが、実はその後に 「だけど、人間の時間はどんどん速くなる」 と続くんです。 以前、時計メーカーの方に 「10年で1回りする時計を作ってほしい」 とお願いしたとき、最初は受けて頂いたんですが、結局断られてしまいました。 担当者いわく、今の技術は 「速く」 することや 「正確」 にすることには対応できるけど、時計を 「遅く」 することはできないと言うんですよね ・・ 僕は 「時計」 と 「時間」 はまったく違うものだと実感したんです。 「時計」 は単に約束ごとのために存在するもので、「時間」 そのものではないと。 昔の人の生活は自然の時間に合わせたものだったけど、いつの間にかそういう生活が失われてしまったんでしょうね。 そんな思いをこの言葉に込めたんです。
 そして今、私は 「ゆっくり流れる時間の価値」 を考えている。 それは 「進まない時間」 であり、ほとんど 「停止した時間」 である。 そんな時間の中で生きることができれば、もはやこれ以上の贅沢はないであろう。 現代社会での最高の価値は、速さなどではなく、本当は 「限りのない遅さ」 なのではあるまいか?
 そうであれば最高の贅沢を実現する進まない時間が流れる場所は何処にあるのであろう? 時間が万物事象の変化率を意味するならば、そこは 「10年一日の如く」 の低変化率の場所ということになる。 であれば変化激しき大都会ではありえず、変化率が小さい地方、さらに言えば雑多な情報がとどかない 「鄙にも希な邑」 ということになる。 それはかって縄文人が満天の星空を眺めていた原始の森のような場所であるに違いない。

2026.05.14


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