| 友との歓談の中で 「悠々自適」 の話になった。
60歳を過ぎて定年を迎える年齢になるとこの理想の老後生活をあらわすライフスタイルイメージが登場する。 信州にはこの理想のライフスタイルを実現しようと都会から多くの熟年者がやってくる。
高原に居住するもの、山麓に居住するものさまざまである。 その誰もが 「悠々自適」 を自認し、幸せそうなのであるが、その風情はどこか装っているようで、なぜか寂しそうなのである。
撮影で訪れた静かな湖畔の散歩道ですれ違った子犬を伴った夫人のかくなる 「寂しげな風情」 を話すと、寂しげなではなく 「憂いにみちた風情で」
と表現の訂正を求められた。 彼はまだ 「悠々自適」 に若干の夢を描いているのである。 寂しいは情緒であり、憂いは深い精神性であるというわけである。
いずれにしても 「悠々自適」 とは、思い描くうちは夢と希望にみちた 「愉しきライフスタイル」 なのであるが、実現すると寂しさと憂いにみちた
「哀しきライフスタイル」 へと変じるもののようである。
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| 以上の話は物心ともに満たされていても、なぜかふと訪れる
「虚無の感懐」 を描いている。 山のあなたの空遠く懸命に探してきた 「幸いの棲家」 がかくなる 「哀しき世界」 であったとは噴飯やるかたないに違いない。
だがとらえどころがない 「幸いの意味」 とは、あるいは 「変哲無き日常」 の中にこそ隠されているのかもしれない。
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