寺田寅彦の警句 「天災は忘れた頃にやってくる」
は1923年9月1日に発生した関東大震災を体験した寺田寅彦が思わず発したものである。 遡る100年ほども前である。 その戒めは寺田が考えたごとく時代を貫いて有効に機能してきた。
だが天災が頻発するようになった現代では、その効能が減じてしまっているように感じる。 以下の記載は寺田の警句を反転させた 第1227回
「天災は忘れる前にやって来る〜不作為の作為」 からの抜粋である。 |
長く続いた集中豪雨はかってないほどの多大な被害を西日本全域にもたらし過ぎていった。
やはりこの状況は 「異常」 である。 異常気象の原因とされている地球温暖化に歯止めがかからなければ、かくなる災厄は 「過ぎ去ったのではなく間隔を置いて再びやってくる」
に違いない。 寺田寅彦が 「天災は忘れた頃にやって来る」 と言った時代は彼方に去り、「天災は忘れる前にやって来る」 時代になろうとしている。
寺田は人間に内在する 「油断」 を戒めるために 「天災は忘れた頃に」 と警告したのであろうが、天災が 「稀有なる災害」 から 「日常なる災害」
に変質してしまうと警告は無効に逸してしまう。 「天災は忘れる前にやって来る」 とは寺田の警告を反転させた 「アフォリズム」 の作文であって、実に
「不作為の作為」 を戒める警句となっている。 不作為の作為とは 「そうなると分かっていても何もしない」 という現代人気質に内在する特有の
「怠惰」 のことである。 「油断」 と 「怠惰」。 人間にとっていったいどちらが 「大敵」 なのであろうか? (2018.07.09) |
さらに現代では天災の概念もまた変質し自然災害とともに人工災害が台頭しつつある。
以下の記載は寺田の警句を転じた 第1737回 「崩壊は忘れた頃にやってくる」 からの抜粋である。 こちらの天災は原点に回帰して
「忘れた頃にやってくる」 のである。 |
「天災は忘れた頃にやってくる」 とは自然災害に基づいた寺田寅彦の警句であるが、近頃は人工災害に基づいた
「崩壊は忘れた頃にやってくる」 という警句が日毎に説得力を増しつつある。 地価は下がることはないとしていた 「土地神話の崩壊」
しかり、原子力は安全であるとしていた 「安全神話の崩壊」 しかり、ともに忘れた頃に突然やってきたのである。 そうであれば、日本国債はデフォルトしないとしている
「経済神話の崩壊」 もまた 「忘れた頃に突然やってくる」 のかもしれない。 ただひとつ、確定的なことがある。 そのとき、人は言うであろう
「それは想定外だった」 と、これだけは確かである。 なぜなら、「想定外」 という方便は、不作為の作為に終始する者が用意している
「最強の免罪符」 であるとともに、「最後の切り札」 であるからに他ならない。 (2023.04.05) |
寺田寅彦が生きた時代は1878年(明治11年)〜1935年(昭和10年)である。
寺田寅彦は夏目漱石の最古参の弟子のひとりであった。 漱石が英語教師として赴任した熊本五高の教え子であり、試験に失敗して落第しそうな同級生のための配慮を陳情するため漱石の自宅を訪ねたことから師弟の深い交流がはじまったとされている。
明治は遠くなりにけりの感懐しきりである。 |
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