見えた、何が、永遠が。 永遠は瞬間にある。 瞬間とは今の今である現在のことである。
現在とは 「あったであろう過去」 と 「あるであろう未来」 を積算したものである。 すべての過去と未来の経路を積分すると今の今である瞬間としての現在に至る。
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時は流れず。 すべての過去と未来は現在に内包されている。
内包されている過去と未来は観測されるまでは、波動性(意識性)をおびて、どこにもあってどこにもない。 だがひとたび観測されるや、粒子性(物質性)をおびて、そこにしかない
「現在場面」 として現実化する。
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観測は意識的な観測でなければならない。 ボーッと眺めているような無意識的な観測では現在場面は現実化しない。
ならば、意識的な観測にいたる起動スイッチは何か? そのような意識跳躍が起動する 「きっかけ」 である。 それは 「犬も歩けば棒に当たる」
がごとき無意識の行動によって惹起された意識跳躍なのか? それとも精神の集中によって惹起された意識跳躍なのか?
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しかして、意識的観測によって現実化した 「局所での現在場面情報」
は超光速度で宇宙全域に伝播し、一体化される。 かくして、細部は全体となり、全体は細部となる。
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しかして、現在だけで構築された 「シンプルな宇宙」
は非局所的であって、センターレス(無局所)であるとともに、ボーダーレス(無境界)である。 依って、宇宙に果ては存在しない。
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