Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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空海の風景〜どこにもいてどこにもいない
 「太始と太終の闇」 と題された偈(詩文)は、空海の生涯を代表する大作となった 「秘密曼荼羅十住心論」 をみずからが要約した 「秘蔵宝鑰」 の序文、最終行に配されている。
三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生れ生れ生れ生れて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終わりに冥し
 かくなる秘蔵宝鑰を書き終えて5年後、空海は62歳で高野山に入定(入滅)している。 自らの入定に先だち 「私は兜率天へのぼり弥勒菩薩の御前に参るであろう、そして56億7000万年後、私は必ず弥勒菩薩とともに下生する」 と弟子たちに遺告した。 弥勒菩薩とは、釈迦の弟子で、死後、天上の兜率天に生まれ、釈迦の滅後、56億7000万年後に再び人間世界に下生し、出家修道して悟りを開き、竜華樹の下で三度の説法を行い、釈迦滅後の人々を救うといわれている菩薩である。 空海は若き日より兜率天の弥勒菩薩のもとへ行くことが生涯の目標であったのである。
 その後、空海の教えは 「高野聖」 と呼ばれる下級僧侶によって全国に流布された。 彼らは高野山から諸地方に出向き、勧進と呼ばれる募金活動のために勧化、唱導、納骨などを行ったのである。 弘法大師にして返照金剛であった空海の名跡が今もなお光を失わないのは彼らの貢献によるところ大であろう。 各地にのこる 「弘法」 の名を冠した池や山の多くは、弘法大師空海に成り代わって行った彼らの勤行の痕跡である。 それはまた自らを零とした空海が理想とした 「どこにもいてどこにもいない」 という本願がこの世に実現した 「空海の風景」 であった。
※)返照金剛とは、大日如来の別名であって、唐に留学した空海が密教の真髄を極め、正統な後継者として師の恵果阿闍梨から受けた称号(灌頂名)である。

2023.12.19


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