Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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遠き日の述懐〜さよならだけが人生ならば
 少年時代、寺山修司はボクサーになりたいと思っていた。 しかし、ジャック・ロンドンの小説を読み、減量の死の苦しみと 「食うべきか、勝つべきか」 の二者択一を迫られた時、食うべきだ、と思った。 Hungry Youngmen (腹の減った若者たち)は、Angry Youngmen (怒れる若者たち)にはなれないと知ったのである。 そのかわりに詩人になった。 そして、言葉で人を殴り倒すことを考えるべきだと思った。 詩人にとって、言葉は凶器になることも出来るからである。 私は言葉をジャックナイフのようにひらめかせて、人の胸の中をぐさりと一突きするくらいは朝飯前でなければならないな、と思った。 だが、同時に言葉は薬でなければならない。 様々の心の傷手を癒すための薬に。 エーリッヒ・ケストナーの 「人生処方詩集」 ぐらいの効果はもとより、どんな深い裏切りにあったあとでも、その一言によってなぐさむような言葉である。
 井伏鱒二の 「花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ」 の訳に対し、寺山は作詩した 「幸福が遠すぎたら」 の中で、「さよならだけが人生ならば、また来る春はなんだろう」 というアンチテーゼを掲げた。 そのテーゼは井伏の 「さよならだけが人生だ」 という別離の断言に、寺山自身が深く魅了されたがゆえになされたものである。 そこには幼くして父を亡くし、母とも生き別れ、親戚にあずけられた寺山が背負わざるをえなかった絶望的な哀しみと、その中で培われた反骨精神が秘められている。 たしかに人生に別離はつきものだ。 だが別離の 「まえ」 に存在していたものの 「すべての意味」 が失われてしまったわけではない。 そこには、めぐり来た春のはるかなはるかな地の果てに咲いていた野の百合が、めぐりきた日のやさしいやさしい夕焼とふたりの愛が、建てたわが家のさみしいさみしい平原にともした灯が、あったのである。 それを 「さよならだけが人生だ」 と言われてしまっては、あまりに悲しすぎて、生きていくことができない。 だからこそ寺山は 「さよならだけが人生ならば、人生なんかいりません」 と叫ばずにはいられなかったのである。

2023.10.11


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