Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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危機の本質
 近現代が目指してきた全体としての大きな世界の 「危機の本質」 とは何であろうか?
 第 1 にあげられるのは 「赤信号みんなで渡れば怖くない」 とする 「集団的無責任体制」 の仕組みである。 頻発する多くの問題の底流には、かかる体制の弊害が横たわっている。 全体としての大きな世界では、構成する人数が多いため個々人の存在感がその中に紛れ込んでしまって目が行き届かない。 そのため全体の動向を左右する 「意志決定」 において、互いが互いを牽制するとともに期待するだけで積極的に関与しなくなる。 つまり、自らがやらなくても 「誰かがやってくれる」 であろうとする自己責任の放棄である。 その体制が進むに従って、集団を構成する個々人から 「存在の使命感」 さえ失わせてしまう。 そうなっては、大きな世界が保持していた機能は失われ、集団は凋落して崩壊に逸してしまう。
 第 2 にあげられるのは、全体としての大きな世界をコントロールするために構築した 「システム化の弊害」 である。 システムは大きな世界の利便性向上に基づいて作成される。 だが達成された 「過剰な利便性」 は、ともすると構成する個々人に思考停止を促し、あたかも 「システムの構成部品」 のような存在へと貶め、無力化させてしまう。
 これらの本質は全体としての大きな世界をかくこのように繁栄させた原動力であったのであるが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」 の喩えのごとく、利点はやがて欠点へと転化させてしまう。 「社会は繁栄した理由をもって滅ぶ」 とは 「歴史の必然」 ではあるが、その轍を超えることは、不可能に思えるほどに高い壁となって立ち塞がっている。 大きな世界が被る危機の本質とは、あるいは自らに内在する大いなる 「自己矛盾」 の帰結なのかもしれない。

2023.08.18


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