Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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歴史の宿命
 以下の 「スペイン風邪の記憶」 は新型コロナウイルスの感染拡大が始まった2020年3月に書いたものである。 それから3年余の時間が経過した2023年5月5日、世界保健機関(WHO)は新型コロナウイルス感染症に関する 「国際的な公衆衛生上の緊急事態」 を終了すると表明した。 2020年1月30日の緊急事態宣言から約3年3カ月。 世界で690万人以上が死亡し、世界経済を混乱させたパンデミックは終焉に向かって進みだしたようである。 ここで今回の歴史的惨禍が何であったのかを省察しておくことは未来に向けての 「歴史的教訓」 ともなろう。 無駄にはならない。
スペイン風邪の記憶
 スペイン風邪の感染拡大(パンデミック)が発生したのは1918〜1919年、第1次世界大戦の最中であった。 それから10年が経過した1929年、世界大恐慌が発生、さらにそのご10年が経過した1939年、第2次世界大戦が発生している。 奇しくもそれからちょうど100年あまりの歳月が経過した2019年、中国に端を発する新型コロナウイルスによる感染拡大(パンデミック)が発生、世界経済は急減速、今まさに大恐慌に陥らんばかりの様相を呈している。 世の盛衰は逃れざる宇宙の理であって、それは 「歴史の宿命」 なのか? 「天災は忘れた頃にやってくる」 というのだが ・・。
 スペイン風邪は記録にある限り、人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行(パンデミック)であった。 感染者は約5億人以上、死者は5000万人から1億人に及んだといわれる。 当時の世界人口は18〜20億人であると推定されていることから、全人類の3割近くが感染したことになる。 感染者が最も多かった高齢者ではほとんどが生き残った一方で、青年層では大量の死者が出た。 日本では、当時の人口5500万人に対し39万人が死亡したといわれる。 これらの数は戦争や災害などすべて含めた死因の中でも、最も多くの人間を短期間で死亡に至らしめた記録的なものである。 流行の経緯は、第1波の流行は1918年3月、アメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近などであったが、アメリカ軍のヨーロッパ進軍(第1次世界大戦)と共に大西洋を渡り、5月から6月にヨーロッパで流行した。 第2波の流行は1918年秋、ほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を起こし死者が急増した。 第3波の流行は1919年、春から秋にかけて、第2波と同じく世界中で流行した。 それまでの流行で多くの医師や看護師が感染者となってしまったことにより、医療体制が崩壊していたこともあって、第3波の流行では感染被害がさらに拡大した。 この経緯を教訓として、2009年、新型インフルエンザの世界的流行の際には、インフルエンザワクチンを医療従事者に優先接種することとなった。
 日本におけるスペイン風邪流行の裏には劇作家 島村抱月と、愛人であり劇団の看板女優であった松井須磨子との哀憐の物語が隠されている。 話はこうである。 大正7年(1918)10月の末、須磨子は時ならぬスペイン風邪に罹患してしまう。 島村は感染の危険をかえりみることなく高熱に苦しむ須磨子を昼夜を分かたず看病していたのだが、風邪は島村に感染、11月4日、島村はあっけなく逝去してしまった。 それから2か月が経過した大正8年(1919)1月5日、残された須磨子は舞台裏の道具部屋で自ら命を絶ってしまう。 遺書にはこう書かれていた。 「私はやはりあとを追います。 あの世へ。 あとの事よろしくお願い申上げます。 それから只ひとつ、はか(墓)だけを同じ処に願いとうございます。 (中略) 幾重にも御願い申上げます。 同じ処にうめて頂く事をくれぐれもお願い申上げます」。 だが妻子ある島村の身とあっては願いは叶うはずもなかった。 須磨子の遺骨は生家(長野市松代町)の裏山の墓所に埋められたという。 記憶の片隅にのこされたスペイン風邪が投影した時空の風景である。
 恐慌とは生産の急な低下、物価の暴落、支払不能、破産などを起こすような資本主義経済における混乱状態をいう。 1929年10月24日に起きたニューヨーク証券取引所の株価大暴落に端を発した 「恐慌」 は世界各国に波及して致命的なダメージをもたらしたことで、「世界大恐慌」 と呼ばれた。 その日が木曜日だったため 「暗黒の木曜日」 といわれている。 この大恐慌がしいては第2次世界大戦の原因となっていくことを考えれば、かくなる経済的ダメージの大きさが計り知れよう。
 現在の世界経済の様相は当時と酷似している。 異なるのはその規模が比較できないほどに膨大であることである。 発生した新型コロナウイルスの感染拡大(パンデミック)が膨れあがった世界経済にいかなる混乱とダメージをもたらすかを予測することは困難である。 せめて 「温故知新」 もって暗黒の日の再来がないことを願うばかりである。
G7広島サミット
 2023年5月19日〜21日の期間で 「G7先進国首脳会議」 が広島で開催された。 会議では新型コロナウイルス禍後の世界、言うなれば 「球形の荒野と化した地球について」 さまざまな視点から討議された。 戦時下のウクライナからゼレンスキー大統領が急遽広島を訪れるなど会議は地球の未来を展望する歴史的なものとなった。 ウクライナの略式軍服であるカーキー色のパーカージャケットをまとったゼレンスキー大統領が、鎮魂のための黒色ジャケットに着替え、夕闇せまる広島平和記念公園にたたずみ、原爆ドームを仰ぐ姿を眺めているうちに、何方からかドイツの小説家レマルクが書いた 「西部戦線異状なし」 のラストカットが甦ってきた。
 小説 「西部戦線異状なし」 は、個としての人間と集団としての戦争との狭間で苦悩し葛藤した人間の姿を描いた不朽の名作である。 それが書かれたのは戦後まもない頃のことであったから人々は実体験として描かれた戦争を肌身をもって感じたであろう。 戦争の悲惨さ、愚かしさ、をいやというほどに思い知らされたであろうし、また心底から悔恨したであろう。 それらの思いは、大きな犠牲をはらった人類が後の世に遺した遺産、言うなれば 「戦争遺産」 である。 だが貴重なその戦争遺産が消えつつある現在の状況は、同じ人類をして 「いつかきた道」 へと誘惑する。 そして 「いつの日か」 識者は言うであろう 「がゆえに戦争は再び起きるのだ」 と。
※)西部戦線異状なし〜そのラストカットとは
 「西部戦線異状なし」 は、ドイツ軍志願兵の主人公パウルが第1次世界大戦下の西部戦線に赴き、やがて戦死するまでを描いた物語である。 題名 「西部戦線異状なし」 はパウルが戦死した日の司令部への報告書に記載された 「西部戦線異状なし 報告すべき件なし」 のラストカットに由来している。 戦時下では人間性の狭間で苦悩し葛藤した1人の兵卒の死などは大した問題ではなく 「記録にさえ残らない」 のである。

2023.05.23


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