Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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間違いの本質
 かって、「間違いも大きくなりすぎるとどこが間違いなのか分からなくなる」 ということを書いたことがある。 では、その 「間違いの本質」 とは、いったい何であろう? この問いを 「大きくなりすぎる」 という視点に固執すると迷路に踏み込む。 そこで、大きくなりすぎた間違いを生んだ基盤に視点を移し、その基盤が間違いであったときに、その基盤のうえに構築された認識体系や行動体系はどうなるかを思考する。 分かり易い喩えとして、以下の2つの歴史的事件を取りあげる。
 1つは、イタリアの天文学者、ガリレオ・ガリレイによってなされた天動説から地動説への転換である。 天動説とは静止している地球の周りを太陽や月が動いているとする考えであり、地動説とは逆に太陽や月の周りを地球が動いているとする考えである。 それまで天が動いていると信じて疑わなかった民衆には、ガリレオの地動説は驚天動地の基盤の転換であって、これを受け入れたら、それまで営々と築いてきた天動説を基盤とする認識体系や行動体系は一夜にして意味を失ってしまう。 到底受け入れることなどできなかったのである。 彼らはガリレオに激しい非難を浴びせ、論争は宗教裁判(異端審問)にまで及んだ。 だがその裁判でも、ガリレオは 「それでも地球は回っている」 と自らの主張を叫んだことは、後世の語りぐさとなっている。
 他の1つは、ダーウィンの進化論への転換である。 民衆に与えた驚天動地の衝撃は地動説のそれにまさるともおとらない。 進化論が登場するまでは 「人間は神の化身である」 と信じられていたのであって、「人間は猿が進化したものである」 などという進化論の帰結を受け入れたら、神の存在を基盤にしてローマ教会や民衆が営々と築きあげてきたそれまでの認識体系や行動体系は一夜にして瓦解してしまう。 到底受け入れることなどできなかったのである。
 以上の2つの歴史的事件は、それまでの人類が営々と築いてきた認識体系や行動体系が意味を失って瓦解してしまうという構図において共通する。 当時の民衆を襲った不安やおののきは想像に難くない。 だが、その後の歴史的検証を経た現代では、その2つの説を疑う者はいない。 そして今日もまたその基盤のうえにさらなる認識体系と行動体系を積みあげている。 だがある日、かってのその日のように、積みあげた膨大な認識体系や行動体系が一夜にして意味を失って瓦解してしまう日が到来しないという保証はどこにもない。
 以上の論点をもって現代社会を眺めるとき、私には現代人が積みあげている膨大な認識体系や行動体系が決して正しいとは思われないのである。 もしかかる体系のベースとなっている基盤が間違っていたとすれば、その上に築かれたこれらの膨大な認識体系や行動体系は一夜にして崩壊してしまう。 今必要なことは、「間違いの本質」 である物事の基盤の動向に目を配って、ゆめゆめその検証をおろそかにしないことである。

2023.01.19


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