Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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狂った猿
 第1703回 「遮断された回路」 を書いていて、書籍、科学哲学エッセイ 「Pairpole」 の中で人間を 「狂った猿」 として描いたことがふと脳裏に甦ってきた。 それがここでよもや 「けだしの名言」 になろうとは 「いやはや」 のことである。 その内容を抜粋すると以下のようである。
狂った猿
 「人間は狂った猿である」 と言った人がいる。 けだし名言である。 まさに現代人を観察すれば多くの人間は狂った猿のようである。 人間が猿から進化したとは 「ダーウィンの進化論」 が説明するところである。
 だがこう言い直したらどうか。 ある日突然に、猿の頭脳が周囲を識別する奇妙なものに変異した。 識別するとは自己を客観視することである。 これこそ宇宙自然物である 「存在からの離脱」 である。 識別能力は 「言葉を創造」 し、この離脱の速度は加速され、ますます宇宙自然物からの隔離距離が大きくなる。 そして、現在の人間に至った ・・ と。
 だが忘れてならないのは、人間の体は未だに猿と何ら変わることのない同じ生体構造をもつ 「一個の動物」 であることである。 つまり、身は猿で頭脳のみが異常発達したのである。 猿の頭は狂ったのであろうか ・・? もし、猿が一個の宇宙自然物である 「自己を忘れてしまえば」 本当に狂ってしまう。 人間は身が猿であることを後世にわたり、忘れてはならない。 宇宙を客観視する頭脳は人間のみのものである。 それが本当に 「能力」 であるのか、「精神病の一種」 なのか、未だ確定していないのである。
 今、人類に求められているものは、その奇妙な頭脳をもったままで 「一個の宇宙自然物に回帰する」 ことであろう。 「身と心を一体化」 して、宇宙自然界の 「豊饒の海へ回帰」 することである。 狂った猿は今や傷だらけである。 身から出たさびとは言うものの、あまりに可愛相ではないか。
 頭脳(心)と体(身)の乖離は前回 「遮断された回路」 で論じたことであり、「身と心の一体化」 とは、そのままにして 「想像と現実を一体化する即身」 そのもののことである。 科学哲学エッセイ 「Pairpole」 の発刊は1999年2月28日のことである。 危機の萌芽はすでにして20数年前に始まっていたのである。

2023.01.06


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