Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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若者の心は曇るべからず
去る日は楽しく 来る日もまた楽し
よしや哀憐の夢は儚くとも
青春の志に湧き立つ若者の胸は曇るべからず
 一編の長編小説 「人生劇場」 を書いた尾崎士郎(1898〜1964年)の言葉である。 愛知県生まれ。 早稲田大学中退。 大正15年宇野千代と結婚するが、昭和5年離婚。 都新聞に連載した 「人生劇場」 が川端康成に認められ、ベストセラーになり、その後、「青春篇」、「愛欲篇」と七篇が書きつがれた。 「人生劇場」 は尾崎士郎の自伝的大河小説。 多くの読者にとって 「人生劇場」 は尾崎士郎であり、「尾崎士郎」 は人生劇場であって、それ以外の作品は思い浮かばないのではなかろうか。 運命共同体とも言うべき強烈な印象を持ったこの作品に、川端康成は 「痛ましい夢」 を認識したという。 昭和39年2月19日雪の朝、結腸がんによって世を去った尾崎士郎の脳裏に去来した 「青春の夢」 はいかばかりであったであろうか? 友人の小説家、武者小路実篤は尾崎を 「多くの人を愛し 多くの人に愛され ずばり真情を吐露する男」 と讃えた。 冒頭の言葉は尾崎がいかに熱い情熱の男であったかを彷彿とさせる。 その思いは墓石の飛び石の先に佇む文学碑に刻まれている。
 また同じ早稲田大学の後輩である五木寛之の自伝的な大河小説 「青春の門」 はこの作品を手本としたものとされている。
 「人生劇場」 のあらすじを青春篇から抜粋すると以下のようである。
 物語の舞台は三州横須賀村(現、愛知県西尾市)、言わずとしれた忠臣蔵の敵役、吉良上野介の地元である。 青成瓢吉の父、瓢太郎は、旧家辰巳屋の旦那で、任侠を身上とする快男児だった。 彼は吉良の仁吉の血をひく遊侠徒の残党の常吉という男に 「吉良常」 という小料理屋をやらせていた。 瓢太郎は瓢吉に無鉄砲な男になるように教育する。 八つになったころの瓢吉に、瓢太郎は庭の銀杏の木に登れと命じた。 登れたら何でも買ってやるというのである。 瓢吉は毎日その木にしがみついて、1ヶ月目にとうとう頂上までのぼることができた。 頂上にのぼった瓢吉の下で、瓢太郎はゆさゆさ木を揺さぶりだした。 彼一流のスパルタ教育は、こんなふうにして幼い瓢吉を叩き上げていったのである。
 やがて、中学に入った瓢吉は、父の教育通り、血の気の多い少年になっていった。 入学早々彼は、友人と一緒に校長を始め教員の悪口を書き連ねた新聞を発行、訓戒処分を受けてしまう。 瓢太郎は、学校に呼び出しを受けたが、かえって瓢吉を励ます。
 その頃、辰巳屋は傾き始め、瓢太郎は病気になる。 瓢太郎の病床にかけつけた瓢吉は、東京に出て苦学することを決意、中学を中途でやめて、瓢太郎からもらった、だぶだぶのトンビをはおり、こうもりがさを杖に、勇躍上京。 友人の夏村大蔵をたよって、早稲田の経済科予科に入学する。 瓢吉が早稲田に入学してみると、期待とは違って教授も学生も沈滞しきっている。 なにか事件でも起こして学校の雰囲気を改造したいと考えていた瓢吉の耳に、大隈公夫人の銅像が学園内に建設されるというニュースが入ってきた。 チャンス到来とばかりに、瓢吉は学園を私物化する大隈重信総長に抗して、「銅像建設反対」 のアジ演説を学生たちにぶちまくった。 学生たちは、瓢吉の名演説に度肝を抜かれ嵐のような拍手を送る。 この日から、瓢吉は早稲田の英雄となった。 彼の周りには、九州男児の新海、松井須磨子の風呂を覗いて三高を放校になった石上、弁舌の鬼高などの豪傑が集合、学生運動の指導権を握った。 しかし、銅像反対運動は、学長の西野派と前学長の白川派の権力闘争という政治的な駆け引きに姿を変え、学生たちはその操り人形と化している現実に気がついた瓢吉は、吹岡とともに大学を去る決心を固める。 一方、故郷では、病ですっかり気力の衰えた瓢太郎を吉良常が訪ねてくる。 吉良常は、刃傷沙汰で監獄ぐらしをしばらくして、その後5年間台湾や朝鮮をうろついて、これから東京に出るという。 瓢太郎は吉良常に東京に行ったら瓢吉にこのピストルを渡してくれと頼む。 借金取りが来て、その応対を吉良常がしている最中、瓢太郎はピストルで自殺する ・・ 云々と続く。
 物語は現代社会では隔世の感がある。 だが当時の青年達が抱いた 「たぎる思い」 は現代の青年達がすでにして失ってしまったものである。 そのご、小説家、五木寛之は 「青年は荒野をめざせ」 と檄を飛ばし、劇作家、寺山修司は 「書を捨てよ、町へ出よう」 とその覚醒を促したが、時代の流れには抗しきれず、今に至っている。

2022.12.31


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