Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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物質的存在論から意識的存在論への思考跳躍
 アラン・アスペ教授ら3人に授与された2022年度のノーベル物理学賞 「量子もつれの実証」 について 第1675回 「実証されたパラドックス〜量子もつれが意味するもの」、第1676回 「量子もつれと皇帝の新しい心」 でそれぞれ論考してきた。
 ここで量子もつれが語るエッセンスを抽出すると以下のように要約される。
 相互作用を及ぼしているふたつの回転する粒子が、その後、遠く離ればなれになったとする。 そのふたつの粒子はそれぞれ反対方向のスピンをしている。 ゆえにA粒子のスピンを観測すればB粒子のスピンの向きを推論できる。 しかし、量子論の解釈によれば観測が行われるまでは両方の粒子がむちゃくちゃな状態で回転している。 だがA粒子のスピンが観測された瞬間に回転の向きが右か左かに確定する。 もし右であればB粒子のスピンの向きは左ということである。 この結果はふたつの粒子が何億光年と離れていようとも同じである。 遠距離で働くこの作用はふたつの粒子が光よりも速く伝わる物理的効果によって連絡しあっていることを意味している。
 量子もつれの実証が意味するところは重大である。 2つの時空が光速を超える速度(瞬時)で連絡しあっているなどという現象は、相対論的な科学理論を絶対視してきた者にとってみれば驚天動地のことであって、にわかには信じることはできない。 それは異次元の時空を繋げる 「ワームホール」 や過去と未来を行き来する 「タイムマシン」 を見るような錯覚を覚える。 それを可能とするものがあるとすれば、宇宙を瞬時に縦横無尽に飛び回ることができる意識以外に他にない。
 それはやがて 「物質的存在論」 から 「意識的存在論」 へと思考の跳躍をうながす。 つまるところ 「量子もつれの実証」 とは、物質から意識への大転換を求めているのである。 それはまるで客観的な科学が人間意識による心理学のようであるかのような錯覚を覚える。 そしてそれはまた、古来からの哲学的テーマであった 「唯物論」 と 「唯識論」 の対比でもある。 「我思う、ゆえに我在り」 なのか、それとも 「我在り、ゆえに我思う」 のか。 「皇帝の新しい心」 を上梓したロジャー・ペンローズは、かくなる物質から意識への大転換に向けて、真理は 「発見されるのか?」 それとも 「発明されるのか?」 と、その核心を慷慨悲憤(こうがいひふん)してやまない。 世界情勢は今、混沌と混乱のさなかにある。 科学や哲学をとりまく情勢もまたそれに追随するかのようにかくなる混沌と混乱に向かって加速度をあげようとしているかのようである。

2022.10.07


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