Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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夢見る人
 荘子は夢で胡蝶となって自由に飛び回っていたが、目覚めてみると紛れもなく荘子である。 いったいそれは、荘子が夢で胡蝶となったのか? それとも、胡蝶が夢で荘子となったのか? 荘子の思想を象徴する寓話とも言われる。 「胡蝶の夢」 の説話は 「荘子」 の中でも重要とされる 「斉物論篇」 を締めくくる位置にある。 「斉物論」 とは 「万物は全て斉しい(等しい)とする論」 とされ、是非、善悪、彼我を始めとした区別は絶対的なものではない事を主張している。 この説話でも夢と現実(胡蝶と荘子)の区別が絶対的ではないとされるとともに、とらわれのない無為自然の境地が暗示されている。
 想像と現実を一致させる即身に向けて空海の講じた 「大いなる秘術」 は仏に成った自己を揺るぎない実在性として信ずることであった。 荘子の 「胡蝶の夢」 では 「荘子が夢で胡蝶となったのか? それとも、胡蝶が夢で荘子となったのか?」 荘子はそれを確定できない。 この構図を空海の状況に置きかえれば 「空海が夢で仏になったのか? それとも仏が夢で空海になったのか?」 となる。 はたして空海はこの是非を確定できたのか? おそらく空海もまた荘子のごとく確定できなかったであろう。 だがこの世の実践者(生きる者)としての空海であってみれば迷ってばかりでは何も解決しない。 がゆえに 「あえて信ずる」 ことでかかる是非の彼岸を超えていったのではあるまいか? 夢想主義者であった荘子と現実主義者であった空海の違いである。
 だが常住坐臥に応じてふと訪れる瞑想や思惟の中では空海もまた荘子のように 「夢見る人」 であったに違いない。 でなければ56億7千万年後に弥勒菩薩とともにこの世に甦ることなど信ずることは到底にしてできなかったはずである。

2020.09.23


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