Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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永遠の0〜上原良司のこと
 「永遠の0」の主人公、宮部久蔵のモデルとされる大日本帝国陸軍の大尉、上原良司は長野県北安曇郡七貴村(現池田町)出身。1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊、第56振武隊隊員として三式戦闘機「飛燕」に搭乗、沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入して戦死。享年22であった。 以下の記載は戦没学生の手記「きけわだつみのこえ(岩波文庫)」の巻頭に掲載されている 「所感」 と題された上原の遺書である。
 栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。
 権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。ファシズムのイタリアは如何、ナチズムのドイツまたすでに敗れ、今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。
 真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。
 愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。
 空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を国民の方々にお願いするのみです。
 こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。
 飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。
 明日は出撃です。過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。
 言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。 ではこの辺で
 現代であればまだしも軍事体制下の当時、自由を標榜して逝った上原良司は希にみる青年であったといえる。自由は勝利し、権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であっても必ずや最後には敗れる事は明白だと断言、真理の普遍さは歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくであろうと予断、自己の信念の正しかった事は祖国にとって恐るべき事であるとまで日本の行く末を危惧する心配り、若干22歳であったことを考えれば現代との隔世の感にほとほと恐懼してしまう。末尾に配された「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます 彼の後姿は淋しいですが 心中満足で一杯です」に至ってはもはや論考する言葉さえ見いだすことができない。 唯一無二の 「心のありか」 をのちの世にのこし得た青年の姿は無窮の天空にかかって朽ちることなく煌めいている。
 上原良司がたとえ「永遠の0」での宮部久蔵のモデルでなかったとしても、もうひとつの「永遠の0」を美事に体現していることに違いはない。同じ信州に生まれ育ったひとりとしてこのうえない誇りである。

2020.06.30


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