Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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Don’t think, feel 〜即身の秘術に代えて
 ここしばらくは即身の大いなる秘術である 「何も考えない」 について思考をめぐらしてきたが、ここに至って 「とある風景」 に帰着した。 それはこの秘術が、今は亡きブルースリーの 「Don’t think, feel(考えるな 感じろ)」 という人生哲学に相似していることについてである。 その説明は重複をさけ 第823回 「燃えよドラゴン」 の記述を以下に転用する。
ブルースリーの風景
 時を隔てて再びブルースリーの 「燃えよドラゴン」 を観た。 映画の中でリーは従う弟子に 「備えずして備えよ」 と薫陶の言葉を伝える。 それは武術家としての極意であろうが、そのまま人が生き抜くための極意でもある。
 人は意識を働かして先の出来事に備えてしまう。 備えあれば憂いなしで、もっぱら備えとは災いを避ける良策と考えられている。 だが現代の情報化社会ではあらゆる情報が洪水のごとく降り注いでくる。 前記の良策は、情報が少なかった頃においては有効な策であったであろうが、情報過多の現代では備えることで憂いは増すばかり、気が休まる暇がない。 まともに備えていたら神経衰弱に陥ってしまう。 それに加えて、その情報の質があてにならない。
 情報戦略は情報化時代における核心的手法であろうが、良きにつけ悪しきにつけ人間はそれらの玉石混淆の情報に振り回される。 人間にとっては身体を攻撃されるより、意識を攻撃されることのほうが、ときとしてダメージが大きい。 情報戦略はそこを突いてくるのでまことに始末が悪い。 かくして情報化社会に生きる人々は日々イライラ、一触即発の精神状態で、あちらからこちらへ、こちらからあちらへと、動き回らされることになる。 これで事故が起きないほうが不思議である。
 「備えずして備えよ」 とは自然体に終始せよということであろう。 頭で考えるのではなく人間が本来内蔵している感性で生きよというわけである。 事に応じて臨機応変、自らの内にある潜在意識に任せてあるがままに行動せよということである。 現代人は情報に没頭するうちに人間本来の根源的な力を失ってしまったようである。 鈍感に生きよとまでは言わないが、せめて足下を見つめて自分が今どこにいるのかぐらいは自覚しなければ迷子になってしまう。
 以下蛇足ながら付け加えると、リーはワシントン大学哲学科に学び、在学中に図書館にある古今東西の書物を読破し、高校で哲学の講師もしていたという。 武蔵の 「五輪書」 を愛読していたことでも知られている。 「燃えよドラゴン」 は公開されるや世界中から絶賛され空前の大ヒットとなったが、その時にリーはもうこの世にはいなかった。 享年32歳、死因は脳浮腫であったと言われているが、今なお謎である。 また日本で初めてブルースリーのモノマネをした俳優竹中直人は、リーの哲学に心酔、以後さまざまな役を演ずるにおいて 「備えずして備えよ」 に徹し、事前に準備はしないという。 あの 「出たとこ勝負」 のユニークな演技の秘密はあるいはこんなところにあるのかもしれない。 以下はリーが遺した名言からの抜粋である。
ブルースリーの名言
Don’t think, feel 考えるな、感じろ
何かについて考えすぎると、それを成し遂げることは到底不可能である。
パンチに予備動作を加えてはいけない。 瞬時に打て。
私は自ら進んで人を傷つけようとは思わないし、たやすく傷つけられるつもりもない。
俺はお前のために生きているのではない。 お前も俺のために生きているのではない。
勝つか負けるか、戦いの結果を予測することは大いなる間違いだ。
自然に任せていれば、ここぞという時にひらめく。
鉄則を学び 鉄則を実践し やがて鉄則を忘れる。 形を捨てた時、人は全ての形を手に入れる。
スタイルを何も持たない時、人はあらゆるスタイルを持つことになる。
皆が皆、勝つ方法を学びたがる。 しかし、決して負ける方法は学ぼうとしない。

2014.08.12

 ブルースリーが遺した数々の名言は武道家としての意図を含んだ表現ではあるが、それはあたかも 「即身の何たるか」 を述べているかのようである。 道は違えど、到達した 「真理の風景」 は寸部も異なるところなく同一である。

2019.07.08


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