Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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科学の敵ナンバーワン
 「科学の敵ナンバーワン」 という異名をもって称されたオーストリア生まれの科学哲学者ポール・ファイヤアーベント(1924〜1994年)は自らを科学の 「アナーキスト」 であり、「ダダイスト」 であると表現した。 以下の表明はその一端である。
 私の人生は偶然の産物であって目標達成や主義主張の結果ではなかった。 私の知的な仕事は人生の取るに足らない側面を形成するにすぎない。 愛と個人的な理解のほうがはるかに重要なことだ。 客観性の追求に熱心な一流の知識人たちは、こうした個人的な要素を葬ってしまっている。 彼らは人類の解放者どころか犯罪者だ。
 アウシュビッツは 「いまだに私たちの中に蔓延している態度が尖鋭な形で現れたのだ」 と私は言いたい。 その態度は、産業民主主義国家の中におけるマイノリティーの処遇に現れている。 それは人道主義的視点の育成も含めて、ほとんどの場合、素晴らしい若者たちを特色がない独善的な教師たちのコピーへ変えてしまう教育の中にも現れている。 核の脅威や増え続ける一方の殺戮兵器の力と数、準備万端ととのって戦争をおっぱじめようと目論むいわゆる愛国者たちに比べれば、ホロコーストさえ小さく見えてくる始末だ。 それは自然や未開文明を破壊しておきながら、生きる意味を奪われた人々のことなど屁とも思わない態度にも現れている。 巨大なうぬぼれに浸った知識人が、自分たちが人類に何が必要か正確に知っていると信じ込み、人々を自分たちの貧しい姿に似せて再創造しようとする執拗な努力にも現れている。 自分たちの患者を恐怖心で恫喝し、彼らを障害者にしてさらに巨額の請求で虐げる、一部の医師の子供じみた誇大妄想にも現れている。 計画的に動物たちを拷問にかけ、その苦痛を研究し、その残虐行為で学術賞を受賞する、多くのいわゆる真実の探求者らの思いやりの欠如にも現れている。 私の知る限りアウシュビッツの手下どもとこれら 「人類の恩人たち」 の間に何の違いも存在しない。
 ファイヤアーベントは死の直前に自伝の草稿を書きあげている。 1995年に出版されたその自伝の題名は 「Killing Time (時殺)」、意訳すれば 「ひまつぶし」 である。 その最後を 「愛が人生のすべて」 と結んだ。 「愛と個人的な理解のほうがはるかに重要だ」 とする自らの主張を裏打ちするかのように 「私の大好きな活動 それは妻のために皿洗いをすることだ」 というコメントとともに皿で一杯になった流しを前にしてエプロン姿でにんまりと笑っている写真がのこされている。
 それは希代の反科学哲学者の面目躍如たる 「辞世の風景」 であった。 波瀾万丈の人生を経て到達した世界の極北が 「妻のために皿洗いをすること」 であったとは、凡人では到底にして行き着き難き、科学の客観的真理を超えた先にある反科学哲学者ファイヤアーベントならではの 「最高の境地」 であったに違いない。

2019.04.01


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