Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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空海と最澄〜刹那と連続
 結局。 生きるとは今の今である現在、即ち運動をともなった実在である 「刹那の世界」 に生きることである。 今の今をとらえた現在を描いた 「期限の消滅」、「存在の時めき」、「永遠は瞬間にあり」 等々の描象がそのことを物語っている。 「いつ生きるの? 今でしょう」 を描いた期限の消滅にして、「存在とは既にして時間である」 を描いた存在の時めきにして、「存在と時間の狭間」 を描いた永遠は瞬間にありにして、人が生きる実存とは今の今である刹那の世界にあることを高らかに主張している。 過去や未来で構成される連続の世界はその背景として描かれているに過ぎない。
 真言密教を創始した空海が唱えた求道の精神 「仏として生きる」 とはかかる刹那における動的存在者(存在の時めき)を述べたものであろう。 他方。 顕教に殉じた最澄が唱えた求道の精神 「仏に向かって生きる」 とは背景である連続における静的存在者を述べたものであろう。 それはまた 「思いの力を信じた空海」 と 「理の力を信じた最澄」 の違いであろう。 ふたりが対峙した 「顕と密の狭間」 とは、あるいは 「連続と刹那の狭間」 であったのかもしれない。

2019.03.12


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