Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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五月のそよ風をゼリーにして〜夢みたものは
 5月のそよ風に吹かれると思い出す言葉がある。それは夭折の詩人、立原道造が生涯を閉じる直前につぶやいた「五月のそよ風をゼリーにして持つて来て下さい 非常に美しくておいしく 口の中に入れると すつととけてしまふ青い星のやうなものも食べたいのです」というものであり、結核の病状が急変、江古田の療養所に入院した道造を見舞った友人が問いかけた「なにか欲しいものはないか」に答えたものである。 詩人とは最期まで詩人なのである。
 その病室にはかいがいしく看病するひとりの女性の姿があった。最後の恋人とされた水戸部アサイである。彼女は建築家でもあった道造が勤務した石本建築事務所の同僚であり、タイピストとして働いていたモダンな女性であった。18歳で道造と出逢った彼女は彼の最期を看取って19歳で永遠の別れをとげることになった。
 道造とアサイには次のような「ささやかなるも哀憐な物語」がのこっている。
 1937年6月5日の日曜日、道造はアサイを誘って軽井沢へ日帰りの小旅行へ出かけた。信濃追分駅近くの草むらで、道造はアサイにプロポーズをしたという。1938年、道造はアサイと過ごす幸せな時間を一篇の詩にしたためた。愛する喜びに世界は光り輝き、目に映るすべてが幸せに満ち溢れていた。「夢みたものは」を書き上げた道造は、その年の12月に喀血し容体が悪化。この時すでに手遅れの状態にあった。アサイの献身的な看病も実らず、3か月後の1939年3月29日、道造は24歳の若さでこの世を去った。道造とアサイは最後まで清い間柄だったという。
 夢みたものは

夢見たものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
山並みのあちらにも しずかな静かな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざって 唄をうたっている
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘が 踊りをおどってる

告げて うたっているのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたっている

夢見たものは ひとつの愛
ねがったものは ひとつの幸福
それらはすべてここに ある と
 道造の死後、水戸部アサイは彼をめぐる文壇の知己達のもとから一切姿を消してしまう。1度だけ信濃追分駅のホームにひとり佇むアサイの後姿を道造の後輩である中村真一郎が目撃したという。ホームからは美しい浅間山を間近に眺めることができる。彼女は旅立っていってしまった道造をそのときいかに思いやっていたのだろうか ・・ 知るは見守っていた浅間山のみである。
 その後の水戸部アサイの消息がわずかばかりのこっている。
 評論家の小川和佑は水戸部アサイを30年後に探し出した。そのとき彼女は道造からもらった手紙15通をひとつも汚さず所持していたという。皆の前から姿を消した彼女はずっと独身であったのではないかと推測される。 わずか1年足らずの愛を 胸の奥底に刻んだまま 彼女はその後の日々を生きてきたのではあるまいか ・・ あの日の五月のそよ風をゼリーにして。

2017.05.22


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