Linear 長野県穂高東中学校にての講演(2003.12.02)より

宇宙の構造とメカニズム
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(13)文学の中の科学

 芭蕉っていま科学者だって言いましたけども、「奥の細道」の中に「静けさや岩にしみいる蝉の声」っていう有名な俳句がありますよね。
 私も皆さんぐらいのときに、どうして蝉の声が岩にしみいるのかなと、芭蕉の表現っていうのはちょっとおかしいなとこう思ったわけですね。

 岩に蝉の声がしみいるという表現がどういうことかなと思うわけですね。ところがその岩っていうのも結果的に原子の状態までいくと、これはすきずきしたもんなんですね。

 今の原子モデルっていうのはイギリスのラザフォードという人が考えたものなんですが、原子核っていうのがあってその周りを電子がまわっている。

 ひとつの原子を考えると、これが東京駅にサッカーボールの大きさだとすれば、箱根の山に野球のボール、これが電子なんですね。(板書)

 これが電子でこれが原子核だと。そうすると東京駅にサッカーボールを置いて、箱根の山に野球のボールを置いた。その状態がひとつの原子なんですね。ですからそのひとつひとつの原子がたくさん集まって岩になっているわけですから岩全体はすきずきしたものなんですね。

 ですから芭蕉の目には蝉の声が岩にしみいるように見えた。確かに科学的に見て、物理的に見てもそれはやっぱり岩にしみいっているわけですね。
 ですからまあ文学者といえどもやっぱり観察力がすぐれていると、こういった科学だとか、あるいはいまのアインシュタインが見抜いたようなところまで見抜いているということは素晴らしいなとこういうふうに私は思います。

 かって日本で初めてノーベル賞をとった京都大学の湯川博士っていう「中間子理論」っていう、その頃の世界で非常に評価された物理学の研究をした人ですけども、その湯川さんの「中間子理論」を中国の唐詩、李白だとか杜甫っていう中国の詩人が書いたその唐詩ですね。その唐詩をもって湯川さんの「中間子理論」を説明した学者がいましてね、私が高校生ぐらいだったと思いますけども、それを聞いたときに素晴らしいなと思いましたね。

 つまり通常だったら、科学者っていうのは数式で説明するんでしょうけども、それをいまの芭蕉だとか、あるいは李白、杜甫というような文学の見方をもって科学を説明したっていうのは素晴らしいな、とこういうふうに思いました。


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