Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知のワンダーランドをゆく〜知的冒険エッセイから
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科学的方法論の転換
 現実である実空間の存在を保証するものが五感による作用と反作用であることはひとつの「メカニズム」として理解されるが、ではその実存性を感じる「五感」とはいったい「何ものか」である。
 哲学者、カントは物体的現実を「物そのもの」という言葉で表現したが、私の五感が感じようが感じまいが、この世が物体的な「物そのものの力」の作用と反作用という自然法則に従って運行し続けているとするならば、この世とは「恐ろしく空虚」で、「無味乾燥」な存在である。
 人間が感じる五感(つまりは意識)を排除して、あくまでも「物そのもの」という客観的分析だけに基づいた科学の方法論が行き着く宇宙像とは、あたかも墓場のような空漠な風景である。
 しかし、この科学的方法論により、我々人類が「ある種の現実的実空間」を解明し、それから多大な利益を享受してきたことは否定できない確かな事実である。我々がこうして車に乗り、テレビを見ることができるのは、この科学的方法論の成果の上に成り立っている。
 ある種の現実的実空間と言う時の「ある種」とは、人間の意識を排除した、言うなれば人間を石や木と同様な単なる実空間の構成要素部品と位置づける視点から構築された宇宙像である。だが、私が五感という意識をもって、この現実的実空間を眺めているのもまた「私としての確かな事実」である。
 人類が今や地球をも破壊できる力さえもつに至った現状を考えるならば、人間を単なる実空間の構成要素部品と位置づける科学的方法論は再考されなければならないであろう。
 それは「物そのもの」という唯物的視点から、「心そのもの」という唯識的視点への移行であり、さらには「物そのもの」と「心そのもの」の一体化である。
 我々はこの現実的実空間に生きて生活している。それはとりも直さず、五感という意識の連続する作用と反作用の継続である。私は私の周りに広がる現実的実空間に作用をほどこし、その反作用を感じ、さらなる次の作用をほどこす。その継続の中で周りの「物そのものは変化」し、私の「心そのものも変化」していく。  この継続が「時間の概念」を構成する。
 「時間とは物事が起きる順番である」という記述は、ここに至り、「時間とは意識の作用と反作用の継続である」という記述に転換される。
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