Linear ベストエッセイセレクション
中森明菜の風景
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愛の難破船
 中森明菜が歌う 「難破船」 が、加藤登紀子の作詞、作曲による曲であることは、最近知ったことである。 さすがに曲を作った加藤が歌う 「難破船」 は歌唱力において明菜を上まわることは当然であって、その情感は心に深く響いてくる。
 そうであれば、何ゆえに加藤は明菜にこの曲を提供したのか? その理由を加藤は、この 「曲の風景」 が誰よりも明菜にぴったりとしたからと述べている。 それは折しもこの時期に、近藤真彦との恋が破局した明菜の挫折感が 「難破船」 の歌詞世界そのものであったことも影響したのかもしれない。
  加藤と明菜がそろって 「夜のヒットスタジオ」 に出演した際には、その難破船を歌った明菜が感極まって涙をあふれさせてしまった。 歌い終わった明菜に加藤は 「自分の感情だけで歌ってはいけない」 と小声で叱った。 それをマイクが偶然に拾ってしまったのである。 だがふたりはその後、何事もなかったかのように番組を続けたというのだ。
 これは先輩である加藤から明菜への歌唱指導であったというよりは、彼女の個性を愛するがゆえに発した、若き歌姫への叱咤激励であったであろう。 だがその期待も虚しく、暗転してしまった明菜の人生は、いまだその喪失感を脱することができていない。 難破船は海底深く沈んだままである。 感情があまりに繊細な明菜にとって、その 「座礁」 はあまりにも大きかったということであろうか? 不死鳥の再来を願うのみである。
難破船 / 作詞 加藤登紀子 作曲 加藤登紀子

たかが恋なんて 忘れればいい
泣きたいだけ 泣いたら
目の前に違う愛が
見えてくるかもしれないと
そんな強がりを 言ってみせるのは
あなたを忘れるため
さびしすぎて こわれそうなの
私は愛の難破船

折れた翼 広げたまま
あなたの上に 落ちて行きたい
海の底へ 沈んだなら
泣きたいだけ 抱いてほしい

ほかの誰かを 愛したのなら
追いかけては 行けない
みじめな恋つづけるより
別れの苦しさ えらぶわ
そんなひとことで ふりむきもせず
別れたあの朝には
この淋しさ 知りもしない
私は愛の難破船

おろかだよと 笑われても
あなたを追いかけ 抱きしめたい
つむじ風に 身をまかせて
あなたを海に沈めたい

あなたに逢えない この街を
こん夜ひとり歩いた
誰もかれも知らんぷりで
無口なまま 通りすぎる
たかが恋人を なくしただけで
何もかもが消えたわ
ひとりぼっち 誰もいない
私は愛の難破船
 「たかが恋なんて」 で始まった物語は 「たかが恋人をなくしただけで、何もかもが消えてしまった」 という深い喪失感の果てに 「ひとりぼっち誰もいない、私は愛の難破船」 で終わっている。 その風景はあまりに哀しい。

2023.04.03


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