Linear ベストエッセイセレクション
映画「君の名は。」〜時間も空間もない世界
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新海三社神社
 映画「君の名は」は2016年8月に公開された長編アニメーション映画である。公開されるや未曾有の大ヒットを達成。今なお注目を集めている作品である。物語は見知らぬ者同士であった田舎町で生活している少女と東京に住む少年が奇妙な夢を通じて導かれていく姿を追う。監督と脚本を務めたのは長野県小海町出身の新海誠である。
 私は主人公の三葉が妹の四葉と巫女舞をし口噛み酒を奉納する儀式のシーンで使われたとされる神楽殿がある新海三社神社を映画公開に遡る5年前、2011年6月に訪れている。その時のことを「信州つれづれ紀行」の中で以下のように書いている。
わが敷島の大和だましひ
 車載のナビで新海三社神社を目指したのであるが何のことはない信州の五稜郭といわれる「龍岡城」のすぐ近くであった。龍岡城を訪れたのは思い起こせば2009年7月のことであった。晴れた夏日の静寂の中でここだも鳴いていた「蝉の声」が記憶に残っている。今日はうってかわって梅雨空から霧のような雨が音もなく降っている。
 龍岡城の脇を通り過ぎてしばらく行くと東の山腹に新海三社神社が樹齢数百年は経たであろう鬱そうと生い茂る杉木立の霊気に包まれたたずんでいた。神社の創始ははっきりとしないが古くから佐久地方の一の宮として繁栄し源頼朝や武田信玄など多くの武将の尊崇を受けてきたという。祭神は四柱で東本殿、中本殿、西本殿の三社に祭られている。
 撮影したかったのは「三重塔」なのであるが神社に三重塔とはめずらしい。一般に塔は「寺の施設」であって「仏舎利(釈迦の遺骨)」を納めたものである。何ゆえに神仏がここに習合しているのであろうか? さらにはその配置が特異である。塔が本殿(東本殿)の真後ろに建っているのである。私もあちこちと神社仏閣を訪れてはきたがこのような例をついぞ見ることはなかった。新海三社神社に秘められた故事来歴の物語りがパズルのように時空の彼方から現代に問いかけている。 そしてまた境内の一隅に立つ掲示板には明治天皇御製の一首が掲げられていた。
いかならむ 事にあひても たわまぬは わが敷島の 大和だましひ
東北大震災にあえぐ日本国民に向けて励まし呼びかける明治帝の声が天から降ってくるようであった。
新海三社神社 三重塔 / 長野県佐久市
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 撮影された映像にはモデルとなった神楽殿からの三重塔が写っている。その場所がそのあと「君の名は」での重要なシーンとなろうことなどその時は思いもよらぬことであった。
 鄙びた神域は閑散として人影途絶え不思議な霊気で張りつめられもの音ひとつない静寂で満たされていた。その中で読んだ明治帝の一首は2011年3月の東北大震災の直後のことでもあってひどく感じ入ったことを覚えている。新海三社神社で出逢った「秘められた謎」とともに今となれば不可思議な縁を感ぜずにはおれない。
黄昏の諏訪湖
 映画「君の名は」で主要モチーフとなっている隕石の落下で壊滅してしまう架空の町「糸守町」にある湖のモデルであるとされる諏訪湖で出逢った「聖地巡礼の人々」を2016年10月、私は諏訪湖を眼下にする立石公園でとらえている。それは映画公開後2ヶ月余りのことであった。その時のことを「信州つれづれ紀行」の中で以下のように書いている。
聖地巡礼
 立石公園は諏訪湖を眺めるに最高のビュースポットである。その日の撮影を終えて霧ヶ峰高原から諏訪へ下る途上、その立石公園が映画「君の名は」の聖地巡礼(※)で賑わっていると聞いていた私は「ふと」立ち寄ってみる気になった。
 うわさに違わず遠来からの若き巡礼者で公園の駐車場は満杯であった。しかもここからの夕陽を眺めるのが巡礼者の儀式のようであって、その刻を いまか いまかと 待っている。陽がまさに沈まんとする時刻に偶然に訪れた私などは ただ唖然として その巡礼者の群像を眺めるしかなかった。
 彼らはバーチャルとしてのアニメーション描画を見たあとでリアルとしての現実の風景を見るためにこの地を訪れる。古い私などからすれば順番が逆のような気がするのであるが世のトレンドはこの順番なのであろう。だが湖面で反射した夕陽が彼らをシルエットで浮かびあがらせている様を眺めているうちに何とはなしに彼らの気持ちが少しは理解できたように思えた。
立石公園からの諏訪湖 / 長野県諏訪市上諏訪
動画ウィンドウの再生
 先日ようようにして映画「君の名は」を観る機会を得て諏訪湖に表象した意味を知った今は その時に彼らが眺めていた 黄昏に暮れる諏訪湖の風景の何たるかを 明瞭に理解することができる。 まさしく彼らは聖地の巡礼者であったのである。
※)聖地巡礼とは
 聖地巡礼とは宗教において重要な意味を持つ聖地に赴く宗教的な行為であるが、転じてアニメや漫画などの作品において物語の舞台やモデルとなった場所やゆかりの地を「聖地」と呼んで実際にその地を訪れることを言う。
無限変身
 映画「君の名は」を観ながらあることに思いが至った。それは盟友、関西学院大学社会学部教授、宮原浩二郎君が提示した「無限変身」との相似性についてである。以下の記載は2002年10月28日に知的冒険エッセイに掲載した「永遠回帰と無限変身」と題した論考である。
 永遠回帰は哲学者ニーチェが人生最後に行き着いた思想である。我々は同じ人生を何度も何度も繰り返す。二度と経験したくないつらいこともこの上なき至福の時も何度も戻って来る。時間は円環を成し未来に向かうと過去に至り過去に向かうと未来に至る。物事は永遠に回帰し、やがて再び戻って来る。
 ニーチェは「時よ止まれ この幸福よ 永遠なれ」と一度でも願ったことがあれば、その人は永遠回帰を認めたのだと言う。円環を成す時間構造はそう願った至福の地点に未来に向かっても過去に向かっても、ともに再び回帰して来るのである。
 このニーチェの永遠回帰の思想は人間の「時間の束縛」からの脱出であるとニーチェ哲学の探究者であり、また数少ない私の盟友でもある関西学院大学社会学部教授の宮原浩二郎君は言う。さらに彼は「空間の束縛」からの脱出としての「無限変身」という思想の可能性を提示して「永遠回帰」と「無限変身」の2つの思想によって人間が決定的に拘束され束縛されている「時間」と「空間」からの離脱が可能であることを説く。
 我々が「このようである」という存在性は突きつめると「空間の束縛」に至る。私が日本にいて私がこのような名前で私がこのように生きていることとは、つまりは空間の束縛のなせる業である。もし私が他の何者かに変身できるとする。例えば哲学者ニーチェに、あるいは詩人ハイネに、また犬や猫に、そしてスーパーマンに ・・ 無限に変身できるとするならば、もはや空間の束縛は存在しない。
 宮原君が「無限変身」の着想を得たきっかけは、街の通りを向こうからやって来た老婆が自分自身であることを刹那に直観したからだと述懐している。
 ニーチェはイタリア北部、ポー河の畔、古都トリノで精神崩壊に至る。宮原君はニーチェがこの精神崩壊に至る人生最後の過程で、彼自身の身をもって、この無限変身の状況に帰着していたのではないかと言う。 もしそれが事実であるならば、ニーチェは「永遠回帰の思想をもって時間を突破」し、「無限変身の思想(精神崩壊?)をもって空間を突破」したことになる。時間と空間の束縛から解放されることが人間にとって、究極の自由と自立であるならば、ニーチェの哲学はその究極に行き着いたことになる。
 ニーチェの身に起きた精神崩壊という現象は単なるニーチェ自身の遺伝子が背負った精神病理質に起因した現象であったのか ・・? それとも妥協を許さない厳しい彼の哲学が至らしめた時間と空間の超越現象であったのか ・・? 永遠の時空の彼方にニーチェが去ってしまった今となっては、これもまた「永遠の謎」である。
 映画「君の名は」で新海誠監督が語りたかったこととは宮原君が提示した無限変身の構造そのものではなかったか? 「見知らぬ者同士であった 田舎町で生活している少女と 東京に住む少年が ある日 夢の中で お互いの身体が入れ替わっていることに気付く 戸惑いながらもお互いの生活を体験するが ・・ 」という物語の構図は上記した無限変身をもって「時間と空間の束縛からの解放」を描いているように私には観えたのである。
時間も空間もない世界
 映画「君の名は」の物語の構造はまた 知的冒険エッセイ 第1152回 で描いた「時間も空間もない宇宙構造」でもある。そこでは「線形時間を廃棄」することで導かれた重層的に重ねられた空間構造とその構造を統合することで行き着いた以下の究極の帰結が提示されている。
 宇宙には過去も未来もなく(つまり、時間がなく) ただそれらが重なった「現在だけ」がある。
 宇宙には遠いも近いもなく(つまり、空間がなく) ただそれらが重なった「仕組みだけ」がある。
 「君の名は」で語られる世界は隕石の落下で壊滅してしまう架空の町「糸守町」での出来事を挟んだその前後の時空間であろうが明確ではない。時として出来事の前であったり後であったりする。それは上記した「過去と未来が現在に含まれている重なった世界で構成された時間も空間もない宇宙構造」そのものである。その様相を 知的冒険エッセイ 第1150回 「連なった世界と重なった世界」では以下のように書いている。
 通常、歴史小説は時間軸に沿って構成された「連なった物語」であると考えられているが、過去・現在・未来で構成された線形時間が存在せず「過去や未来は現在に含まれている」という「時は流れず」の立場からこの歴史物語を論じれば、歴史小説は時間軸に関係なく構成された「重なった物語」であると考えることができる。重層的に構成された「ある歴史物語」から他の「ある歴史物語」への遷移は非日常的歴識空間に掛け渡された「時空のトンネル(意識のワームホール)」を通過することで可能となる。
 重なった世界の境界は物理学が言う「特異点」であって科学理論は破綻している。「君の名は」ではその特異点の様相を「互いに身体が入れ替わっている少女と少年がそのひとつの世界から別のひとつの世界に移ると同時に前にいた世界のことを忘れてしまうという現象」をもって描いている。
 物語のラストは現在の時空間に戻った少女と少年が都会の片隅にある石段の途中ですれ違う場面で構成されている。すれ違う2人は互いにどこかでかって出逢ったことがあるような奇妙な感覚を抱き「どこかでお会いしましたか ・・ 君の名は。」で終わる。
共時性
 重なった世界での記憶を失った少女と少年が現在の世界で再会したときに抱いた「かってどこかで出逢ったことがあるような奇妙な感覚」とは心理学者ユングが提示した「共時性」であろう。
 私の描いた「Pairpole宇宙モデル」では刹那宇宙と連続宇宙という2つの宇宙が登場する。刹那宇宙は時間軸と垂直に断面したときに顕れる宇宙構造であり、連続宇宙は時間軸に沿って断面したときに顕れる宇宙構造である。刹那宇宙には時間が存在しないため、すべては「偶然性に支配された共時性」で語られ、連続宇宙には時間が存在するため、すべては原因と結果で構成された「必然性に支配された因果律」で語られる。
 Pairpole宇宙モデルから「君の名は」の物語を論じれば再会したときに抱いた「奇妙な感覚」とは、時間が存在しない今の今という刹那宇宙では誰しもが出逢う偶然性に支配された共時性的な出来事である。それを「偶然と考えるか」それとも「必然と考えるか」は人によって異なる。通常は偶然として処理されその感覚は束の間のうちに忘れられる。だが「君の名は」を書いた新海監督はそれを必然と考え物語を構想したのである。公開された映画「君の名は」が大ヒットとなった結果からみれば、あるいは現代はその奇妙な感覚を必然のものとする人々が多くなっているのかもしれない。
 以下のもろもろは私の周りに象出した「君の名は」にまつわる共時性についての記述である。
 冒頭の新海三社神社を訪れた2011年6月よりも以前の2009年7月にその新海三社神社の近くにある「龍岡城」を訪れている。文中先頭で書かれた以下の記載はその折のことである。
 車載のナビで新海三社神社を目指したのであるが何のことはない信州の五稜郭といわれる「龍岡城」のすぐ近くであった。龍岡城を訪れたのは思い起こせば2009年7月のことであった。晴れた夏日の静寂の中でここだも鳴いていた「蝉の声」が記憶に残っている。
 本題はその龍岡城からの帰路に立ち寄った稲荷山公園でのことであって以下の記載は「信州つれづれ紀行」からの抜粋である。
未来への意志
 佐久から野辺山に至る国道端の高台にこのロケットは発射を待って立っている。高台は稲荷山公園と呼ばれ臼田の町を360度一望することができる。何故に臼田の人々がこのような奇抜な展望台を建てたのかは知るよしもないが ・・ 眺めているうちにそこはかとなく天に向かう意思が、それゆえの「未来への意志」が感じられてきた。 ビデオカメラを向けていると突如として宇宙を奏でる音楽がタワーから降ってきた。腕時計を見るとちょうど午後3時であった。臼田の人々は何とも粋な計らいをする。
臼田コスモタワー / 長野県佐久市臼田
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 今想えばここにしてすでに「君の名は」にまつわる共時性の萌芽が垣間見えている。
 また臼田には「JAXA臼田宇宙空間観測所」が標高1456mの山上にひかえている。小惑星イトカワを目指した探査機「はやぶさ」の通信が途絶え消息不明になったとき観測所に設置されていた直径64m(日本最大)のパラボラアンテナが「はやぶさ」からの微弱な信号を捕らえて絶望的な局面を救ったことはよく知られている。そのかいあって探査機「はやぶさ」は2010年に無事に地球帰還を果たした。
JAXA 臼田宇宙空間観測所 / 長野県佐久市上小田切
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 さらに新海監督が子供の頃によくスケートをしたという松原湖はその山裾に位置しその松原湖もまた「君の名は」では隕石の落下で壊滅してしまう町にある湖のイメージとして使われたとのことである。
 臼田から国道を西進すれば新海監督が生まれ育った小海町を経て野辺山に至る。そこには国立天文台野辺山の直径45m電波望遠鏡が日夜その目を宇宙の彼方に向けている。その野辺山から少し南進した川上村は日本人最年長宇宙飛行士、油井亀美也さんが生まれ育った地でもある。そのことを 知的冒険エッセイ 第919回 「宇宙を夢見た少年」で以下のように書いている。
 宇宙飛行士、油井亀美也さんが宇宙ステーションでのミッションを終えて地球に帰還した。その油井さんが帰還後の会見の中で、生まれ育った長野県川上村での子供の頃を回想して「川上村の自然は私にとって科学の実験室であった」と話していた。川上村は長野県南佐久郡に属し、群馬県、埼玉県、山梨県との県境に位置する。全長 367 km、信濃から越後を経て日本海に至る千曲川(信濃川)の流れはこの村を源流とする。飾辞を排して言えば、山国信濃、長野県でも辺境に位置する寒村である。このような村から宇宙飛行士が誕生することそれ自体が「奇跡」のような出来事である。レタス農家に生まれた油井少年はまさにその曇りのない瞳で川上村に生起する万物事象をつぶさに観察研究したに違いない。そして夜ともなれば暗闇のレタス畑の中でひとり深夜まで望遠鏡で宇宙を眺めて飽きなかったという。そんな息子の姿を見続けてきた父はカザフスタンのバイコヌール宇宙基地からソユーズ宇宙船に搭乗して旅立っていった我が子を見上げながら「息子は宇宙人になってしまった」とつぶやいた。宇宙を夢見た少年は45年の歳月かけ日本人最年長宇宙飛行士としてその夢を実現したのである。
 ちなみに宇宙飛行士油井さんと新海監督はともに佐久市にある野沢北高校の同窓である。ともに「日本最高所を走るJR小海線」に揺られて通学したことであろう。その車窓からいかなる世界を眺めていたのかは気にかかるところである。
 以上、私の周りに象出した「君の名は」にまつわる共時性についてあれこれと書き連ねてきたが、かくなる事象が偶然なのか必然なのかの判断は本稿を読まれた皆様の判断にゆだねたい。共時性とはひとことで言えば「意味のある偶然の一致」のことである。重なった世界の間に掛け渡された時空のトンネルとしての「意識ワームホール」は思惟によって発見されるであろうことは 知的冒険エッセイ 第1159回 「意識のワームホール〜思惟とは」で述べた。思惟とは意味ある偶然に導く「意味ある符号」を探す意識過程でもある。私は出逢ったその意味ある符号に導かれて「君の名は」の旅をかくこのようにたどってきたのである。

2018.01.09


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