Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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飽和した企画書
 世は企画書の山である。 名だたる大手企業のほとんどが進める経営施策の中核がこの 「企画書」 の運用である。 多くの社員は常に何らかの企画書を立案し経営会議に提出するために日夜奔走している。 企画書とは新製品開発のための 「アイデア」 であり、売上向上のための 「方策」 であり、経費節減のための 「方法」 ・・ 等々である。 だがそうそう優れたアイデアや方策や方法が巷にころがっているわけではない。 やがて 「ネタ切れ」 となって企画書は飽和し、遂には終焉を迎えることになる。
 第619.回 「科学的合理主義の終着点」 では科学的合理主義万能の喧噪が出発した当時にしてすでにその科学的合理主義の行き着く先に大きな危惧を抱いて警鐘を鳴らして立ち向かったドイツの文豪、ゲーテ(1749〜1832年)の以下の言葉をとりあげている。
 ・・・ 富と速さは、世界が称賛し、誰しもが目指しているものです。 鉄道、急行郵便馬車、蒸気船、そして交通のありとあらゆる軽妙な手段は、開花した世界が能力以上の力を出し、不必要なまでに自己を啓発し、そのためかえって凡庸さに陥るために求めているものであります。 そもそも現在は、すぐれた頭脳、理解の早い実用的な人間のための世紀であり、彼らは、たとえみずからは最高度の天分を有さずとも、ある程度の器用さを身につけているだけで衆に抜きんでるものと思っているのです ・・・
 またゲーテの思想を研究したオーストリア生まれの文芸評論家、エーリヒ・ヘラーは、科学的合理主義の行き着く先を以下のように簡潔にして直裁に語っている。
 ・・・ 技術的進歩とは 地獄をもっと快適な居住空間にしようとする絶望的な試み以外のほとんど何物でもありません ・・・
 いずれの言葉も 「飽和した企画書」 の顛末を暗示するかのようである。 250年前にして、かかる企画書の基となった科学的合理主義万能が行き着く先を精確に予測した彼らの慧眼にはほとほと驚嘆してしまう。 だが驚いてばかりいられない、考えるべきは 「ここから先をどうするのか?」 である。

2018.08.12


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