Linear 未知なる時空を訪ねる旅の途中でめぐり逢った不可思議な風景と出来事
知的冒険エッセイ / 時空の旅
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弱者の理論と強者の理論
 弱者は自己存在を擁護するために弱者の理論を構築する。「貧しきものは幸いなり」という理論は貧しき人々の存在を擁護する理論である。この理論の裏側には人間としての自己保存の欲求が横たわっている。つまり、自己を保存し、生き延びさせようという根源的欲求がその欲求に合致するように理論を創りだすのである。

 そして、その理論に権力を与えようと、あらゆる手段が講じられる。ゆえに、社会で語られるあらゆる考え方は、突きつめると全て自己弁護の欲求から考え出されている。労働組合は労働者の自己保存の欲求が充足される倫理観・道徳観を正義として主張され、経営者組合は経営者の自己保存の欲求が充足される倫理観・道徳観を正義として主張される。人間に100の立場があるとすれば、100の倫理観・道徳観から100の正義が主張される。

 現在構築されている社会制度・法律・倫理観・道徳観等々はこれらの正義の集合体であり、それぞれの立場から生まれ、創造されたものであり、正義の絶対的根本基準から創造されたものではない。キリスト教精神であろうが、仏教精神であろうがそれは同じである。

            「正義をまことしやかに主張する者こそ気をつけなくてはならない」

 およそ宇宙や世界に根本的真理や根本的正義などは存在しない。あらゆる真理や正義と呼ばれるものは、「ある立場の人間」による「宇宙や世界の解釈と意味づけ」である。この解釈や意味づけが自己保存の欲求に合致する人々がそれを真理であり、正義であると同調しているに過ぎない。社会がこのようであり、世界がこのようであり、自然環境がこのようであるのは全て人間の自己保存の欲求から創られた社会解釈であり、世界解釈であり、自然解釈である。このような社会・世界・自然の中での唯一確かな力は「ニーチェ」の言う「力への意志」であり、純粋な力への意志こそが根本基準となる。

2002.8.07

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